写真屋だった経験から


フィルムで撮影し

本当の銀塩写真から

フィルムデジタルプリントに移行し

フルデジタルの現在

カメラはミラーレスになり

デジタルファインダーばかり

その進化を否定するつもりはないけれど


今では高価な趣味になってしまった

銀塩写真をふと懐かしむ



いまは、そのデジタル特性を活かして

『盛る』という形や

ベストショットとして

より良いモノを良しとしている雰囲気


写真屋さんから受け取って

初めて出来上がりを見る楽しさは

世代の特権というものの

当たり前に失敗した写真やベストショットの

意味は大きかったように想う


それから

いつか記録や記憶として残る

失敗写真も笑い話や想い出になる

むしろ、その自然な写真こそが

良い想い出だったりする


つくった変顔ではなく

本当の変な顔や

選ばれていない笑い顔


女性は嫌がる人も多いのは

わかるけれど


最近は盛らない写真が良い

とする話が新聞に載っていた

それでも盛らないけれど

選んで残していく

選ばれなかった写真も

どこかにそっと

しまっておいてねと思ってしまう



自分は自分でしかない

自我同一性の確立

アイデンティティであるそれらを

受け止めることが


『盛る』、『選ぶ』事で

少しだけ難しくなっているのでしょうか



すっぴんでじゅうぶんかわいい

そんな中、高校生世代の化粧姿は

個性的という謳い文句で括られて

没個性。


結局、大事なことは

内面にあるのだと


化粧というものは

戦闘服なのだと


必要がない時は

重たい鎧を下ろせればいいのにと

世代違いのため

今どきの若い子はと

歳をとったな〜という想いで思う