春の和菓子3 (三色まんじゅうの巻) | 風ケロのはらぺこご飯♪

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春の和菓子というよりも、これからの行楽シーズンのティータイム。

こんなちっちゃくて可愛らしい、

桃色黄緑のほのかな「三色饅頭」はいかがですか?


桜材 料 (10 個 分)
■ 小麦粉・・・・・・・・110~120g
■ ベーキングパウダー・・小さじ1弱 
■こしあん・・・・・・・・300g
■砂糖(A)・・・・・・・60g
■湯    ・・・・・・・50g  
■食紅・・・・・・・・・ 少々
■抹茶・・・・・・・・・・小さじ2/3
■砂糖(B)・・・・・・・小さじ1



数字1*あんは1個30gに丸めておく。小麦粉はベーキングパウダーを合わせて2~3回篩っておく。



数字2* 砂糖(A)に湯を加え蜜を作り、完全に溶かしてから冷ます。


      
数字3*三種類のまんじゅうを作る。

ハート桃色の饅頭を作る場合は、水で溶いた食紅少々に数字2の冷めた蜜1/3を入れる。


クラブ黄緑色の饅頭を作る場合は、抹茶小さじ2/3に砂糖(B)小さじ1を混ぜ、湯小さじ1を加えてといたものに数字2の冷めた蜜を1/3を入れるが、少しゆるくなるので小麦粉大さじ1を具合を見ながら足す。

ダイヤ白色の饅頭を作る場合のために【2】の冷めた蜜1/3は残す。




数字4数字3に小麦粉をそれぞれにもう1度篩い入れ、太めの箸等で手早く切るように混ぜる(▲上記の写真※1)。粉っぽく成ったら粉を篩ってバットの上にとる。ベタベタしていてもよい。



数字5*粉をまぶしつつ折りたたむようにし、少しこねる。10個ずつに取り分ける。



数字6*一つずつ綺麗な球状に丸める。まずふちを薄く延ばす([☆point1])(▲上記の写真※2)。次にお椀状に伸ばす。あんを入れた手の中でふちをよせるくっつける(▲上記の写真※3)。丸めてから腰高に整える([☆point2])。くっつけた面を下にして小さく切ったオーブンペーパーかレンジ用ペーパーの上にのせる。

☆POINT1・・・底の部分を薄くするため。
☆POINT2・・・蒸し上がった後、綺麗な形になる。




数字7* 蒸し器に並べ、表面に霧をたっぷりと吹きかける。強火で10分蒸す([☆point3])。このとき蓋の露が垂れない様に布巾等で包むとよい。ざるか網の上に取り、冷ます。

☆POINT3・・・中華蒸し器だと10分強!


かえる翌日になるとやや固くなるが、蒸し直すとフワフワになりおいしい。




■和菓子の材料について ・・・・・3
 ■食 紅 ( 着 色 料 ) 
粉末と液体のものがある。粉末は水に溶いて使用する。ほんの少しの量で色が変わるにで分量は加減しながら使用するようにする。




★まんじゅうの話・・・饅頭は人の頭の換わりに作られた!?
お菓子といえば「 お 饅 頭 」。和菓子の中でももっとも親しまれ、たくさんの種類があります。


それぞれの地域に根付いた、おいしい人気のお饅頭が数々あり、今でも愛されています。


現在はスイーツという横文字のお菓子たちに人気の座を奪われていますが、その日本での歴史は古く、実に奥の深い「 お 饅 頭 」について、貴方はどれだけご存じですか? 


饅頭とは小麦粉等を練って作った皮(生地)で小豆餅等の具を包み、蒸した菓子である。和菓子の一種で、「万十」「万頭」「曼頭」等と書く事もあります。


饅頭のルーツは、中国の饅頭(マンツウ)にあると言われています。

マーラーカオ等の饅頭(マンツウ)を起源として中華風の饅頭は、中華まんとして区別されている。饅頭(マンツウ)は3世紀の中国三国志時代の蜀の宰相・緒葛亮が南征の帰途、川の氾濫を沈めるために川の神へと人柱を立てて、人の首を川に沈める習慣を改めさせようと小麦粉で練った皮に肉を詰めそれを人間の頭に見立てて川に投げ込んだところ川の氾濫が静まった故事からこの料理が始まった節がある。

その後、饅頭を川に投げるのももったいないので祭壇で祭った後、食べるように成ったため、饅頭は最初の頭の形を模して大きかったものが、段々小さくなっていったと言われています。

日本の饅頭の起源には二つの系統がある。


ひとつは1349年に禅宗の僧と一緒に中国から渡来した林浄因と共に入ってきたと言われている。その際、禅宗のお茶と一緒に食べる菓子として饅頭が用いる事を考えた。しかし従来の饅頭は肉を使ってしまう(本来の仏教では肉は禁じていないが、日本では肉食を禁じていた)にで、代わりに小豆を使った饅頭が考案されたと言われている。その後、林は奈良の漢國神社の近くに住居して塩瀬といういう店を立て評判に成った。お盆の行事として8月1日は釜の蓋と称し饅頭の日である。林は漢國神社境内社の「林神社」に祀られ、製菓業者の信仰を集めている。


もう一つの系統は、林は伝えたとされる年より100年ほど遡る1241年 に宋に渡り学を修めた聖一国師が、福岡の博多でその製法を伝えと言われる。聖一は辻堂(つじのどう=現・博多駅前1丁目)に臨済宗・承天寺を創建し、博多の西、荒津山一帯を宅鉢に回っていた際、いつも親切にしてくれた茶屋の主人に饅頭の作り方を伝授したと言われている。この時に茶屋の主人に書いて与えた「御饅頭所」の看板が、今では東京赤坂の虎屋黒川にある。奈良に伝わった饅頭は、ふくらまし粉を使う「薬饅頭」で、博多の方は甘酒を使う「酒饅頭」とされる。日本に定着した後、あんや皮の製法に様々な工夫が凝らされ、種々の饅頭が作られるようになった。