今の自分、このままではだめだと思ってる。

せめて体調だけでもよくなれば、気分も変わるかもだし、気分が変われば、また前向きに何か考えられるかもしれないしと思って、坐骨神経痛をまず治そうと思ったけど、もう半年通ってるけど、いまいちよくならない。すごいひどかったときの痛みはなくなったけど、そのかわりに違う場所が痛かったり、変なゆがみを感じてたり、よくなっていってるのか何なのかわからなくなってきた。

毎月数万円の大きい出費で、でも治るんだったら、今思い切って出費してでも治してしまったほうがいいと覚悟を決めて、払い続けてきたけど、ちゃんと役に立つ出費になってるのかどうか自信なくなってきてしまった。

 

体もぼろぼろだから、気分もよくないんだと思って、だから体をまず治そう、いろんなことはそれからまた考えようと先延ばしにしてきたけど、治りそうにないから、またいろいろぐるぐる考える羽目になってしまった。このままだと私、どうなるんだろう。夫のことは私がやるんだ、一番わかってるのは私だけだから、病院に預けるわけにはいかない、そう思ってる。施設に入れたら、ほんとにどんな扱いになるのかなんて、もうつくづくわかってる。最初の2年で、ひどい扱いされてるのを見てきて、毎日そんな光景を見て心折れるなら、連れて帰って、自分の体が大変なほうがまだ耐えられる。その一心で連れて帰ってきた。

 

家で過ごすほうが、夫自身にとって快適なのは間違いない。かゆいときに、呼べばすぐかいてくれる。痛いときは、すぐに手足の位置をずらしてくれる。テレビ見たいときは、言えばすぐにつけてくれる。夫の状態で施設に入ったら、まず声が出ないから、呼んでも誰にも気づいてもらえなくて長時間放置されるだろう。私とヘルパーさんは、夫の声にならない声をすぐに聞きつけるけど、普通の人は無理。

 

自分の顔がかゆいときに、もし私の両手が動かなかったらって想像したら…

家だと、いつでもおむつが汚れたら交換するけど、施設だと時間が決まってて、数時間放置される。それだって十分に嫌だけど、でもスタッフさんの人手不足はしょうがないと思うし、そういうことは我慢しなきゃいけないことだと思う(いや、でもほんとは嫌だけど…)。でも究極交換してもらえたら、それでありがたいと思わなきゃいけないというか、あきらめなきゃいけないんだろうと思う。そこは1万歩ゆずって、そうだとしても、自分の顔がかゆくて、「おーい、おーい」って、ベッドの中で動かない体で、ずっと口パクしてるのに、施設の大部屋で周りの人にずっと気付いてもらえないまま、ずっとずっと口パクしてる夫の姿を想像すると、だめです。想像するだけで、涙出る。やっぱり、そんな目に遭わせたくない。だったら、私がやるしかない。いつも、ここで思考停止。

 

やるしかないんだったら、もうやれよ、自分。

でも自分の体、きついんだよ…どうしよう…

じゃあ、口パクしてるだろう夫のことを想像して泣くのはやめろ。考えないことにして、施設入れるしかない。入れるんだったら、もうそういうこと考えちゃいけない。自分にはできないって思ったんなら、割り切れ。

 

二択しかない。

 

どっちにも振り切れないから、毎日毎日ぐるぐるしてる。もうこれって、今に始まったことじゃない。何年間もこれ。そして8年経った。結局どっちにも決断できない自分が悪い。

割り切るのもできない。ずっとやっていくという覚悟もできない。

 

あー、もう考えるのやめよう。今日ひと晩だけ、がんばろう。もう本当に無理ってなれば、施設に入れざるを得ないときは、いつか必ず来る。そのときまではやるしかない。そう思って、またがんばる。でもすぐくじけそうになる。その繰り返し。弱いんだよな。もっと強くなりたい。

 

自分の命を絶ってしまう人に、あとから周りが必ず言うこと。「何か方法あったはず」

ないと思うよ?ないから、その人は追い詰められたんだと思うよ?

もちろん、ヘルプを出していれば、何か他の道があったはずの人も何人かはいると思う。だけど、全員がそうではないと思う。本当にどうしようもできなかった人はいると思う。人生どうにもならないことは、ある。努力だけではどうにもならないことは、ある。あるから、だから、どうにもならなくなったとき、唯一の解決策が自分で人生を終わらせることになるのは、仕方のないことだと思う。