$名画座マイト館


 大学教授の曽宮周吉(笠智衆)は、鎌倉で一人娘の紀子(原節子)と住んでいた。
 周吉は妻を早くに亡くしており、紀子は戦争中に身体を壊したため、二十七歳になった、今でも一緒に暮らしていた。

 今は、元気になった紀子だが、父のことを気にかけて結婚のことを考えていなかった。
そんな時、紀子は友人の北川アヤ(月丘夢路)と出会う。アヤは一度結婚したが性格の不一致で離婚をしていた。
 同じ頃、周吉の助手である服部昌一(宇佐美淳也)も結婚をする話が出ていた。それを聞いて、周吉の実妹田口まさ(杉村春子)は悔しがった。まさは紀子と昌一を結ばせようとしていたからである。
 紀子は父を一人残して、家を出ることができなかったのである。

 周吉が親友で京都の大学教授をやっている小野寺(三島雅夫)と久しぶりに会う。その時、小野寺が再婚をした話を聞いた紀子はそれを不潔だと思い、父も再婚を考えているのでは気にするのであった。

 そんな時、まさは周吉に三輪秋子(三宅邦子)という未亡人を紹介するのであった。それからというもの紀子は父のへ不安が募るのであった。
 そして、ある日、紀子は周吉に再婚をするのかと尋ねるのであった。周吉は紀子にすると答えるのであった。
 そのことが紀子の父とずっと暮らしていたという気持ちを変えさせ、結婚を決意するのであった。

 紀子が結婚をする前に周吉と京都に旅行に行くのであった。
 二人は友人の小野寺宅を訪れる。そこで紀子は再婚した小野寺の家庭に温かい雰囲気を感じるのであった。そして、紀子は小野寺に、再婚をしたことを不潔と言ったことを詫びるのであった。
 その夜、京都の旅館で周吉と紀子は、残り少ない二人の時間を静かに過ごすのであった。

 旅行に戻った紀子はすぐに結婚式をあげるのであった。
 花嫁衣裳を着て嫁に行こうとした時、紀子はまた父と一緒に暮らし続けたいと言うのであった。それに対して周吉はこれからの結婚生活の幸福を得ることを諭すのであった。

 式が終わり、周吉はアヤと飲んでいた。その時、アヤは周吉に結婚をするのかと尋ねるのであった。
 それに対して、周吉は「しない」と答えるのであった。



 小津安二郎監督の『晩春』。この作品以降、小津の映画はヒロインとその家族間での結婚の話が多くなる。
 時には、『東京物語』のような作品も撮るが。

 この映画で小津監督は娘が父の元を離れて結婚する話だけの話を作り、それ以外のエピソードは一切入れないとようにしている。
 しかも、その結婚までの家庭をドラマチックに盛り上げたりすることもなく、淡々と描いてくいのであった。
 その作りはつまり観ているものを退屈にさせてしまいかねないものがある。
 正直、観ていて退屈さ感じ面白さを味わうことはなかった。しかし、見終わった後、何か心に残る物があった。

 それは人生の詫びさびというものだろうか。ラストで愛する娘と別れた笠が一人淋しくいるのであっただけに、それを強く感じてしまった。
 小津監督、そして、彼との名コンビの脚本家、野田高悟は物語を盛り上げることよりも、父と娘の心理描写に力を注いだのがわかる。

 父と離れられない娘、本当は娘を離したく父。娘はへたをすればわがままに見えるくらいに結婚を嫌がり、承諾するも直前で本音を言ったりする。これほどまでに、娘の父への想いを強烈に作り上げている。

 一方、父は本当は離れたくないのに、娘の人生を考えて嫁に出す。父の本音はラストの無言のシーンですべて現される。
 ところが、小津監督は、周吉が小野寺との何でもない会話で、しかも重さを感じさせないように言わせるのであった。
 「もつんならやっぱり男の子だね。女の子はつまらんよ。せっかく育てると嫁にやるんだから。ゆかなきゃゆかないで心配だし、いざ行くとなるとやっぱり、なんだかのらないよ」
 このセリフをつよがりのように言わせているのであった。

 そして、あれだけ、娘の結婚が話を引っ張っているの結婚式のシーンがないのである。、しかも、結婚相手すらも登場しないのである。
 いかに、小津監督にとって父と娘のドラマ以外のものは邪魔であり、カットして当然だといわんばかりであった。
 それすらも省いているのである。
 それはまさに日本の古典芸術が持つ、必要なものだけの美。それが、この映画を魅力的にしているのであった。
 だからこそ、ラストシーンは淋しさが強く感じてくるのである。しかも、このラスト、一切のセリフもなく、ただ周吉がりんごを見ているだけである。
 それだけに、一人ぼっちになった父の悲しさが画面から伝わっていくのであった。

 ちなみに、当初、このラストは、小津監督は周吉を泣かせようとしたのである。しかし、笠が演技とはいえ人前で泣くことを嫌がったため、泣くこともしない形になったのである。
 これはまさに正解である。そして、小津監督も自分の映像美は省略をわかっていたから、笠の意見を聞いたのかもしれない。

 そして、今回、観て気が付いたのが、小津監督の会話を一人ワンカットで取りつないでいくという編集方法であるが、この切りかえのテンポが実にいいのである。
 本来、途切れ途切れの編集はそのシーンの展開のテンポを壊したり、観ている方の集中を途切れさせてしまたりすることがある。
 しかし、小津監督の会話の編集し方は舞台での会話劇での、テンポいい時の会話のように映像での会話のテンポの良さを感じさせてくれている。

 また、脇役も魅力的にしているのがいい。本作では、杉村春子の田口まさである。紀子の結婚に関して世話を焼きたがる女性の役は何か印象的であった。
 そして、周吉と寺を歩いていて財布を見つけてネコババする時のシーンは人間臭さの笑いを生んでいる。更にそこにおまわりさんを登場させて笑いを強くする。
 その後、二人は周吉の家に来るのだが、その時でも周吉がまさに財布を警察に届けるのいい、財布の件をひっぱっているのが更におかしかった。
 こうゆうちょっとした笑いを入れるのも小津監督のキャラクター作りの上手さを感じた。

 それほど、強烈な面白さや感動というものを感じることはなかった。しかし、何か静かなものが終わっていき、そこに余韻がかぶさっていくのがあった。
 それが小津映画の魅力なのかもしれない。


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