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 当時、日本映画界のニューウェーブだった頃の森田芳光監督の新感覚ハードボイルド作品。



 都会から遠く離れた田舎町。そこの駅で、歌舞伎町で医者をいる大倉洋介(杉浦直樹)は工藤直也(沢田研二)を迎えに来ていた。大倉はある組織から工藤の世話をする仕事を請け負ったのであった。
工藤直也、彼の仕事は殺し屋であった。

 そして、大倉と工藤の二人きりの奇妙な生活が始まった。
工藤は酒も煙草も吸わず、食事もまずはデザートから食べてステーキしか食べないという男であった。そして、日課山の中を走り海を泳いだりとトレーニングを続けるものであった。
 大倉は工藤が何をしにこの町に来たのかが気にしつつも組織から言われたように彼の世話を指示通りに完璧に行うのであった。

 何日か共同生活をしているうちに大倉は工藤に共感を持つのであった。それは工藤が浜辺で問題を起こし、チンピラに因縁をつけられた時彼を守る物であった。

 工藤を雇った組織はコンピューターが出した計算で行動をするのであった。そのコンピューターが工藤に殺しを、その世話役に大倉を選んだのであった。
 そして、またコンピューターは梢ひろみ(樋口可南子)を工藤と大倉の生活に入れるのを指示するのであった。

 大倉は、何を考えているのかわからないひろみに困惑をした。そのひろみは自分に興味をしめさない工藤に好意を持つのであった。

 組織のコンピューターがまた指示を出した。ある人物が組織にとって邪魔で抹殺せよというのであった。なんと、その人物とは組織の会長谷川(岡本真)であった。
 それを知った谷川はその指示に従うのであった。

 三人の共同生活が普通になった頃、工藤らは町に出かけ娼婦を買うのであった。
 工藤は娼婦と激しいセックスをする。それをその隣の部屋で大倉とこずえが聞いているのであった。
 こずえは工藤が女にちゃんと興味を持っているのに驚くのであった。

 翌朝、大倉は娼婦を紹介してくれた宿の女中たえ(加藤治子)から、この町の住人ほとんどがある宗教団体の信者であるのを聞かされる。大倉はその宗教団体を良くない話で知っていた。
 また、たえからその宗教の教祖谷川がこの町に来るのを知らされる。その時、大倉は工藤の殺しのターゲットが谷川なのを知るのであった。

 谷川が町に来た日、大倉が止めるのも聞かず工藤は殺しに行く。大倉は諦めるしかできなかった。しかし、ひろみは気になり、谷川の暗殺が行われる駅に行くのであった。
 多くの信者に迎えられて駅を出てくる谷川。信者の人ごみの中を谷川を目指して歩く工藤。

 工藤は谷川を刺そうとするが失敗し警察に捕まる。しかし、組織は組織の者を使って谷川を殺す。
 それを見た工藤はパトカーの中で…。



 殺し屋が町に来て、誰を殺し、それまでの生活が描かれる場合、そこにはハードボイルのような物が漂い、話を盛り上げるため別の殺しをせざるおえなくなったり、また殺し屋を追う別の殺し屋、または刑事などが登場し、話を盛り上げたりする。

 しかし、この映画には、殺し屋の行動を盛り上げる要素は一切ない。殺し屋はただたんに生活し、ただたんに女を抱き、ただたんに相方とドライブなどに出かけたりするという生活を淡々とこなしているのである。

 だからといって、画面の空気は神代辰巳監督のような空気が重いという感じがあるわけではなかった。
 この映画の画面からは、なぜか不思議な魅力を感じる空気。美しさを感じる物があった。

 そして、工藤と大倉の二人のコンビも不思議であった。こうゆうコンビ物といえば、仲が悪くて仲良くなるパターン。あるいは下の相棒が上手く上の相棒をフォローできる、あ、うんの呼吸を持ったパターンである。
 しかし、二人にはそのどちらも当てはまるものがない。

 比較的普通の生活をしていた大倉にとって謎が多い工藤はとっつきにくいタイプである。しかし、その謎があるゆえに工藤にひかれていく大倉の不思議さ。そして、気がついたら、大倉が工藤に、なぜ、そこまでひかれるのかという理由が見えなくても、二人の仲になっとくできるものがあった。

 そして、更に二人の仲を奇妙に見せるのは、大倉自身がこの映画の中では、歌舞伎町で医者をしていたということ以外何もわからない、得体の知れない人間なのである。
 得体の知れない者同士が一緒になり仲良くなっていくことが、この映画の奇妙な空気を作り出していたのであった。

 監督の森田芳光監督は、前年、ATGで『家族ゲーム』を撮り、当時の日本映画界のトップに立つ。
 『家族ゲーム』は上っ面な平和の家庭が崩壊していくさまを淡々と日常が薄い空気で壊していく。それは今までの日本映画のホームドラマでは無いものであった。

 そして、森田監督はこの映画で、『家族ゲーム』の感覚を持ち込んで、今までの日本、いや世界にもなかった、殺し屋の物語を仕上げたのであった。
 この殺し屋の映画、ラスト以外、激しさを感じる演出がない。しかし、むしろ森田監督が作った透明な空気を画面から感じることによって、この映画に吸い込まれてしまうのであった。
 それだけに、一番映画的にショッキングなラストも、それまでが透明な空気のようなもので作られ展開されているものだから、インパクトに強さを感じるのであった。

 また、映画の舞台も田んぼや森だけの何にもない町でなければいけなかったのである。それは田舎の風景で叙情的さを狙うということではなく、田舎という風景が持つ不思議な空気が必要だったのである。
 その風景の不思議な空気があるから、この映画の空気に何か違うものを感じるようにしているのであった。

 そして、主役は沢田研二。歌手としてはスーパースターである。しかし、役者になると不思議な存在感を醸し出す人である。
 だから、一見、殺し屋っぽさがなく、感情を表に出さない工藤は、ショーケンや松田優作では演じられなかっただろう。
 というよりも、沢田研二という美男子が演じるから、工藤という役は成立し、この映画が醸し出す透明な空気も成立するのである。

 この映画は透明な空気を作ることができる森田芳光監督と沢田研二という二人が揃ったことで成功をしている。
 そして、この映画以降に、この映画のような作品が作られたであろうか。

 殺し屋が出る話。アクション物。そして、カッコよく。というような考えの流れになりそうである。
 しかし、この映画はその流れの考えになるのを消去し、森田芳光監督が自分の世界を作るための素材としてこの映画を選んだのである。

 初期の頃は、作る映画が既成の日本映画とは違った空気のある新しい物を作っていた森田監督である。
 しかし、その彼も自分の才能に溺れたのか、当り外れのが激しく、しかも外れが多い監督にねってしまったのが残念であった





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