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 宮尾登美子の文芸作品を任侠映画の巨匠山下耕作監督が演出した作品。



 芸妓として全国各地の温泉街を渡り歩く岡崎露子(十朱幸代)には女学生の里子(秋吉久美子)という故郷に残した妹がいた。
 母に早く死なれ、父は酒飲みでそれで死んでしまい、露子にとって里子は大事な妹であった。露子の芸妓人生は里子の幸せのためと言ってもよかった。
 そして、姉妹は再会し、里子のそばでずっと暮らすことにした露子は地元で働くのであった。

 そして、露子は田村征彦(萩原健一)と出会い愛し合うようになる。
征彦は高知一のやくざ一家で興行権も牛耳る田村組の組長伊三郎(丹波哲郎)の息子であった。しかし、征彦は親に敷かれた道よりも自分の力で生きていくのを選び、父親とは絶縁関係であった。

 そんな時、里子が結核になる。露子のことを思い征彦は金策に走るが父と敵対するやくざ百鬼勇之助(遠藤多津朗)の刺客に襲われ、逆に斬ってしまい、刑務所に入るのであった。
 露子は入院費を稼ぐため借金を作り、また各地の温泉場を転々とするのであった。

 三年後。借金を返済し久しぶりに故郷に戻った露子は退院した里子を訪れた露子は、里子が出所した征彦と男女の仲になったのを知る。征彦が、最初は露子のため里子の世話をしているうちにそうなってしまったのであった。
 それにショックを受けた露子は、以前に山海楼で世話になった南海銀行の新頭取の溝上昇(津川雅彦)のか囲い者となり、カフェを開くのであった。

そんな時に征彦のもとに伊三郎の子分が訪ねる。伊三郎は高知で飛行機観覧大興行に打とうとしていたが、百鬼が雇った流れ者梵天の信次(小林稔待)に斬られて死んでしまう。   
父の仇と夢を果たしたいと望んだ征彦は露子を訪れ、溝上の力を借りたいと土下座した。結局、征彦を忘れられなかった霧子は溝上に協力を頼むのであった。

飛行機観覧大興行は成功するが百鬼によって飛行機が爆破されてしまう。飛行機の弁償と興行の損害の金を得るため征彦は再び金を溝上に頼む。しかし、溝上は征彦と露子のことを知り相手にしなかった。
征彦の借金、姉への後ろめたさから理子は自分から芸妓になり二千万円の金を得る。しかし、里子は百鬼に買われてしまうのであった。そして、百鬼に抱かれようとした時、大量の喀血をした。

征彦は里子を取り戻そうとしたが梵天の信次に斬られて重傷を負い、病院にかつぎこまれた。
そして、露子が里子を取戻そうと百鬼の所に現れ、指を詰めることで里子を取り戻す。しかし、里子は露子に抱かれて息を引き取るのであった。

何もかも失った露子は満州に渡るのであった。
そして、征彦はドスを持って百鬼の前に現れるのであった。



 実録やくざ映画が下火になった東映は、宮尾登美子のやくざ世界を描いた小説を得て女性観客層を手に入れた頃の作品である。

 強い愛で結ばれた姉妹。その二人が一人の男を愛してしまったがために起きてしまった悲劇。
 そんな物語をかって任侠やくざ路線のエース監督であった山下耕作監督が強い情感を込めて撮りあげている。

 やくざ映画は一見すると男の世界である。その監督の山下耕作監督が女性の世界を描いた映画をよく撮れたと思われるかもしれない。
 しかし、山下耕作監督は男の世界であるやくざ世界であろうとも、その世界にいる女もしっかりと描き、ただの主役を愛する存在という記号にしてはいないのである。

 山下監督の最高傑作『博打打ち 総長賭博』では夫と兄弟分が対立関係になってしまいそれをおさめることができないために自殺の道を選ぶ妻が登場する。
 また、『いのち札』という傑作では惚れた男の組の親分の嫁になってしまったために苦しんでしまう女性が登場する。
 そして、その女達はやくざの世界にいること、そして、生きていることに悲しみを抱き、それが自殺という道であろうとも強く生きていき、悲劇に直面している。
また、それは男達のドラマの悲劇性を高めていくのである。

要は、この『夜汽車』という作品は任侠映画の男女の立場を逆にした映画なのである。やくざの世界を描きつつも、その世界の男を愛する女の方を主体にしている。
そして、更にその中には愛する者達に裏切られてしまっても、見捨てることができないどころか自分の体までもはって助けるという行為しかできない女の悲しい運命も描かれている。

 任侠映画では、女の悲劇も背負い男は命をかけて殴り込みに行く。だから、征彦は斬り込みに行くのである。
 ある意味、征彦は行くべき方向に行ったのである。愛した姉妹の悲劇を背負ったからである。

生きることの悲しみを自分の作品のライフワークにしてきた山下耕作監督。だからこそ、この映画は悲しみに溢れ、姉妹と男の悲哀のドラマとしても成功できたのである。
荒らしさが出てしまう五社英雄監督や深作欣二監督では、仕上げられない映画である。

 そして、悲しい人生を生きていく露子を、暗い夜の中を走る汽車に例えて、付けられた『夜汽車』という題名のセンスもいい。

 愛する人のために体をはる露子。これを演じる十朱幸代の演技がいい。運命に翻弄される女を見事に演じ、それを受け入れて生きていかなければならない女の情念が滲み出るほどであった。
 それくらいに、強烈なものがなければ、この映画は安いメロドラマになりかねなかっただろう。

 そして、里子を演じる秋吉久美子。いつも彼女なら姐の男を取っても平気でいるような役をしていただろう。
 しかし、本作では姉の愛する人を奪ったこと、自分のために不幸な人生を送らせてしまった姉のへの後ろめたさを悲しく演じてくれた。
 また、姉から大事に思われる妹というのが実にはまっている所は、まさに妹女優の貫禄である。
 しかし、この頃の秋吉は20代だと思うが、それでも十代の女学生役を演じても違和感がないのも、この人らしい。

 主演女優二人が強烈なのか、本作ではショーケンはあえて抑えた演技をしている所がある。
 役としては野望を持った男であり、その野望に燃えた感情を出せただろう。好きな人がいつつも別な人、しかもその人の妹を愛し、その罪悪感も観ている者に感じさせられただろう。
 でも、それを出さずかっこ悪くいることで、十朱の演技を引き立てといってもいいだろう。
 しかし、ラストの殴り込みはそれを解き、いやヒロイン達の悲しみを背負ったことで、この時のショーケンは鶴田浩二や高倉健のように光った存在感を出していく。
 ここで、ショーケンにそうゆう光を出すように計算した山下耕作監督の計算の上手さに感激をしてしまった。

 主演クラスは非東映系俳優であるが、敵役の遠藤多津朗、敵味方のやくざの組員役にピラニアの面々がいると東映映画ファンとしては何か安心感があった。
 特に、刺客を演じた小林稔持の狂気さは、今の毒気のないつまらない彼しか知らない人間からすれば衝撃といってもいいだろう。でも、その稔持の役も惚れた女のために殺しをするというある意味、ショーケンの役の黒版という所もインパクトが残る役であった。

 東映らしさを残しつつも、それまでの東映映画にはなかった情感ということでは成功した映画である。
 また、実録路線で、今ひとつ、自分らしさを出せていなかった山下監督が出すことができた映画でもある。


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