当時、テレビで放送されていたドラマを中平康監督が映画化した作品。



 市村家のやすし(鈴木ヤスシ)、チコ(中山千夏)、好夫(市川好朗)は、成績優秀な交通巡査である父と母正子(菅井きん)と暮らしていた。
 しかし、父が交通整理の仕事中に車にはねられて死んでしまうのであった。
 ヤスシはチコや好夫に誰の世話にもならないで強く生きていくことを誓うのであった。

 しかし、家族は離れ離れになってしまう。正子とチコはやすしの友人で父が海上の運送会社を経営している石田清(市村博)の家に住み込みの手伝いで生活をしていく。
 やすしと好夫は親戚の五郎(桂小金治)の家に住むのであった。しかし、五郎の妻、はるみ(新井麗子)は二人を邪見にするので、やすしと好夫は早く自分達で仕事を探して、自立を考えていた。

 やすしは清にいやいやテレビタレントにされ、それが元で喧嘩をし警察を呼ぶまでになってしまう。
 そこで好夫は清の父(小沢栄太郎)に談判し、やすしは石田の父が経営する海上運輸の会社で働く。

 そこでやすしと好夫は海上運輸のベテラン田原老人(嵯峨善兵)に気にいられ、彼の船で住み込みで働くのであった。
 一方、チコも貧しいことに負けずに元気にしていたが修学旅行の費用がなく困っていた。しかし、石田家の次男健(前野霜一郎)の買い物などをして小銭を貯めて、池に隠していた。それを好夫は覗き見するのであった。

 そんな平和な日々が続いていたが、田原が定年を迎えてしまい会社から追い出されてしまうことになったのである。海上運輸一筋だった田原にはあまりにもショックで、彼は酔っ払ってしまい、事務所のガラスを割るのであった。
 そんな田原の気持ちを悟って、好夫は自分がしたと事務所の人間に言い、ガラス代は弁償するというのであった。真相をしっているやすしは好夫にどうするんだときつくいうのであった。

 好夫はまず自分達の作文を利用しては、現代っ子とはと評論活動をしている教師(ミッキー安川)にネタ代を要求するが相手にされなくなる。
 そして、先生が浮気をしている現場を見つけてはそれで脅しをかけるのだが、先生は好夫らに掃除当番の罰を与え、好夫らの動きを止めてしまう。

 そこで好夫はチコが修学旅行の費用に隠していた金を盗み出してしまう。しかも、チコが修学旅行に出発する、その日に。
 ヤスシは姉の大事な金に手を出した好夫を殴るのであった。しかし、チコは好夫を責めることはしなかった。

 いよいよ、船を出なければならない日になった田原は酒に酔いもあり河に飛び込んでしまうのであった。それを好夫が助けるのであった。
 それで、好夫はマスコミを巻き込んだ大人達に誉められる。しかし、好夫は浮かない顔であった。
 田原を助けた所で、この後の彼の人生が幸せなわけではないのを知っていたからである。



 非テーマ主義の中平康監督にしてはテーマ性が前面に出た作品を撮ったという感じのある作品である。
 しかも、貧しい、兄弟の話、社会の矛盾が出てきたり、今までの中平監督の作品とは違った仕上がりになっている。

 また、倉本聡の脚本が社会派ドラマとして、しっかりと作られているから、なおさらその方向性が強くなっている。
 正直、この手の映画であれば、中平監督が嫌っていた浦山桐郎監督の方が合っていると言ってもいいだろう。

 しかし、中平監督はやる気なしを感じさせる演出にはせずにそれなりまとめている。なぜならば、この映画に出てくる社会の矛盾、兄弟達(特に中山千夏)のいじらしさは心に突き刺さる物があった。

 そして、この映画の良さは次男の好夫を演じる市川好朗の存在である。
 浦山監督の『キューポラのある街』や円谷一が撮ったテレビ映画『煙の王様』で、天才子役ぶりを発揮していただけに、市川好朗がこの映画を盛り上げている。

 つまり、この映画での『現代っ子』というのはハイティーンの長男のやすしではなく、大人顔負けの図太さで生きている次男の好夫のことなのである。
 多分、中平監督はそれを狙ったのだろうか、好夫の行動を活き活きと描いている。それは『キューポラのある街』の時以上に現代っ子と言われ、それまでの子供とは考え方も行動も違う少年を印象深く演じてくれた。

 特にいいのが、自分達の日常生活をメモってはそれをネタにし、評論家としてマスコミで持ち上げられている先生に、ネタを提供している金を出せという所である。
 相手にされなければ、更に相手にするようなネタを見つけては脅す。普通だったら、脅された相手は負けてしまい金を出す物であるが、この先生、子供の攻撃屁のかっぱといわんばかり、上を行くのである。
 これはそんなずるい先生を演じているミッキー安川の好演もあって、この映画で一番楽しめるものであった。

 もし、全体的に好夫の現代っ子の行動を追っただけの内容であったら、中平監督は好夫の図太さをメインにして、喜劇色の強い作品にしていただろう。
 しかし、好夫の身近に田原老人がいるために、現代っ子をより深く演出することができなくなってしまっている。

 先も書いたように中平監督はテーマ主義者でなく、撮影テクニックや撮り方で映画を作る人である。正直、他の中平作品に較べれば、物足りない映画である。

 でも、映画の内容や子供を通して見せる社会の矛盾のドラマは決してつまらなくはないし、心に染みるものがあった。
 ただ、どうしても中平監督が撮ったからいい作品になったというわけではないのである。

 もしかしたら、他の監督。特に、浦山桐郎監督であれば、もっといい作品になっていたかもしれない。

 そして、この作品がもう一超える面白さがないのが、好夫以外の人間達が社会派もののキャラクターに染まっているので面白みがないのである。
 長男が鈴木ヤスシなのに、彼に普通の学生役をさせているのがもったいなかった。また、中山千夏も喜劇畑の子役なのにそれが活かされている役になっていないのももったいない。

 その上、面白いキャラクターであった市川好朗も田原老人が出てくるために、面白みが弱くなってしまっているのも残念であった。

 いい脚本の映画なのだが、中平監督の個性が出たのかと考えると、どうしても疑問が出てきてしまう。

 いい脚本でいい監督なのに、これほどすんなりといい評価を出せない映画である。


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