中平監督と仲谷昇コンビ三部作の一作目である。


 西物産会長の娘種子(戸川昌子)の夫で電子計算機コンサルタントの本田一郎(仲谷昇)は東京に出張している時はホテルと安アパートを借りての生活をしていた。
 一郎は東京に来るとフランス人二世に化け、多くの女性達をガール・ハントにし、その情事を「猟人日記」と題して記し、それを安アパートに隠していた。

 ある日、ガール・ハントした19歳のOL尾花けい子(山本陽子)が本田の子供を身ごもって自殺をした。それでも本田はガール・ハントを続けていた。
ところが、ある日かってガール・ハントした一人のスーパーマーケットの現金係津田君子(茂手木かすみ)が殺される。しかも、本田が別にハントしたオールドミスの相川房子(稲野和子)と一緒にいる時間である。
 さらに本田がまた別にハントした美大生の小杉美津子(高須賀夫至子)と情事を終えて、房子を尋ねたら、房子は全裸にされスットキングで首を絞められていた。
 本田は自分のアリバイの証言を確保するために、美津子の所に行くが彼女も殺されていた。しかも、本田のネクタイで。

 その上、本田のアパートから猟人日記が誰かに盗まれていた。そして、殺された彼女達の死体についていた血がRH(-)AB型という珍しい血であった。その血液は本田の血液であった。これが決め手となり、本田は殺人犯として逮捕されてしまう。

 本田の養父から彼の弁護を頼まれた畑中健太郎(北村和夫)と助手の藤睦子(十朱幸代)は捜査を始める。
 畑中はまず本田のことをしるために彼の母校を訪れた。母校では本田はかって自分と同じ血液の子供が輸血の必要があり、真っ先に飛んでいったということで英雄扱いであった。そして、ある女性が本田の話を聞きに現れ、彼の血液のことを尋ねたのを知る。

 畑中は本田の血液に注目をし、その線から捜査をし、本田と同じRH(-)AB型の人間を訪ねた。
 最初に医者の山崎幸太郎(中尾彬)を睦子が尋ねる。最初はとぼけていたが彼女のしつこい尋問に自分の血液をある女性に売ったという。
 次に、トルコ風呂に入り浸るやくざな男(山田吾一)と出会う。彼はその時新人でお気に入りだったトルコ嬢が辞めていたので気が立って、そのトルコ嬢との話をした。
 更にオカマバーのママにある男性と一夜を共にした話を畑中にする。ところがママが言うにはその男性は女のような感じがあったという。
 そして、三人の話から女には鼻の横にホクロがあったと聞く。

 また、畑中は本田の「猟人日記」の存在を知り、本田にそれを再現させようとするが、本田は拒否をした。
 なぜなら、その一ページ目には妻種子との情事が書かれていた。そして、本田と種子は海外旅行中に子供を出産するのだが、旅の無理が祟ってしまい、彼女は奇形児を産んでしまった。
 そのことが原因で種子は不能になってしまい、本田をガール・ハントさせるようになったのである。

 そして、畑中と睦子は種子を訪れる。種子は狂人になっていた。そして、本田の猟人日記は種子の元にあった。



 この映画の存在を知った時、前半の本田のガール・ハントの部分のみが強調されて紹介されていたので、本田の奇妙な性生活を描いた映画だと思っていた。
 そして、この映画の最初の部分はまさにそれが描かれていて、中平康監督のエロチックな演出が、後のエロ文芸物に較べれば大人しいが画面に映されていた。

 しかし、後半は本田の潔白を証明するために動き回る畑中弁護士を中心とした、中平監督お得意のサスペンス映画になっていた。

 この映画は、というよりこの映画の原作が発表された時に話題となっていた血液による新しい捜査方法に着目して作られているのが珍しい印象を与える。
 そして、それが更に血そのものだけでなく、精液でも判断できるというのである。それも含めて事件を描いていくので推理物としては面白さをさらに強くしていった。

 現に、原作はシャンション歌手でも有名な作家、戸川昌子の原作の推理小説である。通常の中平監督であれば推理物としての面を強く演出して面白く仕上げていくはずである。
 もちろん、謎が起こり、その謎を解いていくという物語の展開は面白く仕上げられた。

 しかし、本田が自分の情事を日記に書いたり、寝た女達が次々に殺されていって本田にしてみれば不可解なことが続いてく描写は、後に本田を演じた仲谷と組む『砂の上の植物群』のような不条理さや不気味さを感じさせる演出になっていた。

 さらに、この物語は当時まだ日陰中の日陰な世界なオカマの世界が登場する。それが更にこの映画の奇妙さを高めていき、ある種、異常性愛的な印象も与えていった。
 その上、奇形児が出てくるのである。

 中平監督は、畑中弁護士の活躍を描いて推理物として面白く仕上げつつも、一般常識では考えられない世界や行動を入れたりして、この作品の印象を高めていった。

 このような異常性愛の世界は、後に東映の石井輝男監督や中島貞夫監督が描くのだが、それを先に描いたというわけである。
 つまり、東映の任侠映画や実録やくざ映画は実は日活が先にやったように、異常性愛な物も日活が先にやっていたということである。
 そして、東映の異常性愛物に関係が深い役者小池朝雄が、中平監督の本作ではナレーション、同じ傾向の次回作『砂の上の植物群』に出演しているというのも奇妙な縁を感じる。

 そんな異常性愛を描いた作品ではあるが、中平監督は話を面白くさせる要素として描いてはいるが、東映の監督達のようにそれを前面にして作品を作ろうとはしなかった。
 そこはやはモダン派で綺麗な世界を描く中平監督だからしかたがない。だからといって、中平監督にそのようなものを求めようとはしないが。

 そして、本田がガール・ハントをする時の酒場で歌う、シューマン作曲の『流浪の民』がいい効果を出している。
 最初は、フランス二世に化けた本田が外国の歌を歌ってキザっぽさを出し、女を魅了するために歌う。
 しかし、この歌、曲調がマイナーなため淋しい歌なのである。そのため、ラストで釈放された本田が歌うと、妻への哀れさ、その原因を作った自分への罪悪感を込めて歌っている感じがあり、映画の終わりに悲壮感を残させている。

 中平監督はこの映画をあくまでも推理映画として撮り、エロや不条理さは添え物的に考えて撮っていたのかもしれない。
 しかし、その添え物の部分の印象が強かったせいか、彼はこの後、同じ傾向の映画を何本か作っていく。
 そのうちの二本のヒロインで本作では脇役で出演している稲野和子だが、その二本で見せるインパクトの強いエロスな演技は本作でもう出している。それも中平監督と仲谷昇コンビ作をあと二本作るきっかけにもなったのかもしれない。
 それを考えると、中平・仲谷・稲野和子三部作と呼びたい所であるが、メインの女優が稲野ではなく、原作者の戸川昌子であるから、そう呼ぶことができなのは残念である。

 しかし、戸川昌子、推理小説作家だからというわけではないが、とてもミステリアスな雰囲気を醸し出していた人である。

 こんな異色な映画ではあるが、畑中弁護士を演じる北村和夫の演技がいい。事務所が火の車状態で困っていたり、子供が生まれれば普通の父親のように喜ぶ姿。
 彼の共感できるキャラクターとかわいい子系で助手役を演じてい十朱幸代の睦子の存在は重いだけになりかねないこの作品の清涼剤にもなっていた。

 その存在が、次回作の『砂の上の植物群』にはなかったから、難関な映画にしてしまっている。
 三作目の『おんなの渦と渕と流れ』は、まだ未見なのでなんとも言えないのが残念である。


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