百草園の吊るしびな

 

 

何もできない自分にいら立ちを感じる日々です。

ウクライナからの難民を受け入れるポーランドの人々の姿を見て考えました。

自分は同じように難民を温かく迎えることができるだろうか、と。

(ポーランドがシリア難民を受け入れなかったのはいつの事だったろう、

などと非難がましく言える資格はありません。)

 

ふと、石川逸子さんの詩を思い出しました。

例えば、朝鮮半島の人たちが難民となったときに、

わたしたちはどのように対応するのだろうかと・・・。

遠くの国の出来事に人は優しい・・。

では、近くの国の出来事に人は優しくできるのだろうかと・・・。

そう考えてみることも大切な日々かも知れません。

胸が苦しい。

 

 

遠くのできごとに

ひとはやさしい

(おれはそのことを知っている

吹いていった風)

 

近くのできごとに

人はだまりこむ

(おれはそのことを知っている

吹いていった風)

 

遠くのできごとに

人はうつくしく怒る

(おれはそのわけを知っている

吹いていった風)

 

近くのできごとに

人は新聞紙と同じ声をあげる

(おれはそのわけを知っている

吹いていった風)

 

近くのできごとに

私たちは自分の声をあげた

(おれはその声をきいた

吹いていった風)

 

近くのできごとに

人はおそろしく

私たちは小さな船のようにふるえた

(吹いていった風)

 

遠くのできごとに

立ち向かうのは遠くの人で

近くのできごとに

立ち向かうのは近くの私たち

 

(あたりまえの唄を

風がきいていった

あたりまえの苦しさを

風がきいていった)