あの日
ともだちの声も
家族の笑顔も
さらった爆風(かぜ)あの夏を忘れない
未来がまだ 続くように
幸せって何だろう
その答えは この手から
きっと はじまる・・・
この曲は、ヒロシマの被爆2世でロック歌手?の吉川晃司さんの歌です。
ニュースでコメントを流す場合があります。
しかし、後半は意図的にカットされていました。
「・・・優しい言葉をかけてくださいました。」までは放送されました。
カットされていたのは、「沖縄のことを考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご意志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております。」のことばです。
県知事選への影響を忖度した結果でしょう。
7年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち、「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種をまいて去りました。一つは先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう共に声を上げることでした。
すでに祖霊の一人となった今も生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
恩義ある方々に何の別れも告げずに旅立ちましたことをここにお詫び申し上げます。 菅原文子
さらに、死の直前の活動が紹介されなかった。
1周忌の琉球新報2015年11月28日にこんなコメントが寄せられていた。琉球新報
フランスの悲しみや怒りを世界に届けるメディアは数多くある。彼らの声は大きく、よく響く。悲しみの場所に花束が集まり、ローソクの灯が連なる。その明るさは遠い日本まで届く。ビールやワインを片手に、存分に語り合う自由も、そこにはある。
しかし、多くの市民たちを殺害し、自らの若い生命もその場に捨てたイスラームの人たちの声を届けるメディアの声は、あまりにも小さい。だから私たちには、世界の半分しか見えていない。半分は明るく、半分は暗い半月を見るようだ。
欠けた半月の暗闇に生きる人々の声が伝わらない限り、犯人たちの母や妻、きょうだいや子供たちの悲しみと嘆きが聞こえてこない限り、私たちは明るい半分の月が伝えることのすべてが真実なのかどうか、信じて良いのかを決めることはできない。
半月の暗闇では、パリでそうであったように、倍返しの空爆で殺された人々に花束が積まれているのか、ローソクが惜しみなく燃えているのか、かつて私たちの国の暗い戦争の時代に、妻や母や子が、夫や息子や父の死を悲しみ嘆くことが許されなかったように、半月の片側では今も許されていないのか、有無を言わせず赤紙一枚で戦地に引き立てられていったように、同じように命じられて死んでゆくのか、それらを知ることなしに、安全な場所から明るい半月の片側にだけ花束を捧げることはできない。
そこにも富と自由が、ここと同じようにあるなら裁きのつけようもあるが、富も自由も乏しいなら、私たちはそれを痛み、悲しむことしかできない。アジアの辺境の島国から届けるのは爆音ではなく、平和への願いと祈りであり、それを力強いものにするために戦っている者たちが少しでもいるという希望だけだ。
大国の軍需産業の強欲の前に、世界の理性と叡智(えいち)は声もなく色褪(いろあ)せる。テロに軍事力で臨む時、その爆音の大きさに大義は吹き飛び、憎悪と復讐(ふくしゅう)の灰が地にも心にも積もり続ける。
先日の「サマータイム」のブログで書いた、森・安倍会談の前に先取り世論調査をしていたのはNHKです。