出典 みいけ資料館HP
「夢のような話」というメッセージで、尹東柱の生涯は簡潔に語られていた。
しかも、心打つ物語として。
しかし、この詩人が気になったのは、「なぜ、このような純粋な信仰の詩を書く青年が治安維持法違反の判決を受けて投獄され、刑務所で死ななければならなかったのか。」という問いからだった。
いとこの宋夢奎(ソンモンギュ)は、京都大学に入学前から、朝鮮独立運動にかかわっていた容疑のために特攻にマークされていた。尹東柱が宋夢奎(ソンモンギュ)やその友人たちと議論した会話がハングル語であったため、隠れて聞いていた通報者や特攻が「国体変革の目的アリ」と恣意的に解釈されたのかも知れない。さらに、尹東柱は、ハングル語で書いた詩を多数持っていた。
治安維持法第5条
「国体変革の目的をもって結社を組織したり、またはその支援や準備の目的で結社をそして結社を組織しようというその目的事項の実行に関して、協議または扇動、宣伝その他その目的遂行のための行為をしたものは・・・」
1944年の判決文が、伊吹郷の努力によって京都地裁で発見されたのは1982年頃であり40年近く経っていた。
さらに、福岡刑務所に服役した尹東柱が、正体不明の注射をうたれた。死に際して何かわからない言葉を叫んでいた。などという看守や収監者からの伝聞があったことから、人体実験のようなことがおこなわれたのではないかという憶測がひろがった。
このことは、NHKのディレクターであった多胡吉郎(NHKスペシャル1995年「尹東柱」空と風と星と詩 尹東柱・日本統治下の青春と死)が退職後に調査した。
しかし、組織的に何かが行われた事実は出てこなかった。
結局、尹東柱が、刑務所に収監され、そこで死を迎えなければならないような明らかな犯罪事実はなかった。
尹東柱は、若い叙情詩人だった。ただそれだけだ。
新たな道
川を渡って森へ
峠を越えて 村へ
昨日も行き 今日も行く
私の道 新たな道
たんぽぽが咲き かささぎが翔び
娘が通り 風が起き
私の道はいつでも新たな道
今日も・・・・・・ 明日も・・・・・
川を渡って 森へ
峠を越えて 村へ
(尹東柱詩集 金時鐘訳 岩波文庫より)
尹東柱の歩いた道が見える人になりたい。