恐山 出典 トリップアドバイザー

異界を精神世界と言い換えよう。そうすれば、内藤正敏の写真に抵抗が少なくなるかもしれない。

写真展は、「北海道開拓写真の発掘」(竹林盛一の幌内炭鉱 1871-1880)のコーナーを経て「東北の民間信仰」と「婆バクハツ!」のコーナーになる。

 

現世(今)と異界(精神世界)の間は、結界のようなものが張られていて、相互に不可侵の均衡が保たれている。異界(精神世界)から現世に来ることを許される者が、鬼のような異形であり、現世から異界(精神世界)へとコンタクトを持つことが許される者が、信仰者ではないだろうか。ただし、後者の場合には「場」が限られている。

 

内藤は後者の「許された者」として「イタコ」、「場」として「恐山」を写した。文献として記録に残らず、失われていく東北地方の民間信仰の姿を写した。民俗学的にも意義があることだと思う。しかし、「婆(Baba)バクハツ!」という表題には違和感があるが。

 

東北の土着の民間信仰は、女性が主役だった。東北に限らず、神社においても、神職である「神主」は「許された者」ではなく「巫女」が「許された者」にあたるのではないだろうか。

かつて、新興宗教の教祖に無学な女性が多かったではないか・・・。そういえば、ヒンズー教の「生きる神」である「クマリ」も女性だ。卑弥呼も「鬼道」に通じた老婆であったという説があるではないか。

でも、内藤の写真の中のイタコのおばあちゃんたちのエネルギッシュなこと、屈託のないこと、おおらかなこと。

ひとりの人間だけが、異界(精神世界)と通ずることができるという信仰であったならば、現代まで生き延びることはできなかったであろう。そして、イタコは虐げられた者たちの代弁者の側面もあった。

 

昔、信仰の保管者として男子の社会を指導しえた時代の、女の感覚の鋭さなども、他の国々と比べて一段とうぶのままが保存されています。それを一方で圧すると他方にふくれて、新たに大和の丹波市や丹波の綾部に無学の女教祖が出現するのであります。おそらくは、他日解説できぬような、法則外の出来事ではなかろうかと思います。

        柳田国男「女性と民間伝承」宮田登による解説からの孫引き 出典 内藤正敏:ソノラマ写真選書25 婆 -東北の民間信仰:昭和54年:朝日ソノラマ