羽黒山 出典 鶴岡市観光連盟HP

かつて、こんなコミックを読んだ記憶がある。

ある村の神社で行われる綱引きまつり。

村人たちと闇の中の何者か達とが年に1度綱引きを行う。

 

その綱引きは、必ず引き分けになる。そのようにしなければならない掟がある。

しかし、ある時都会から来た若者たちが、そのおきてを破り、村人側が勝ってしまった。

その時から、すべての均衡が破れ、何かが次々と起こるようになった。

諸星大二郎「闇綱まつり」

このコミックが、民俗学的な事実に取材したものなのかどうかは知らない。

府中の大國魂神社に俗に「くらやみ祭り」というのがあるらしいが、・・・

 

異界と現世は、均衡が保たれている。それを破ってはいけない。というたぐいの言い伝えはたくさんあるだろうと思う。

 

現代的な解釈をすれば、環境が破壊されることによって、自然界との均衡が破れ何かが次々と壊れていく。そんなことかもしれない。

 

化学の研究者であった内藤正敏が、鉄門海上人の即身仏と出会った湯殿山、注連寺でのある出来事が「ミイラ信仰の研究」内藤正敏:1974:大和書房のあとがきに書いてあった。(抄出)

 

初めて注連寺を訪れた内藤は、帰りのバスもなくなったので寺に泊めてもらうことにした。

せめてものお礼にと、厨子を掃除しようと前夜とまった旅館でもらった新品の手ぬぐいで雑巾がけを始めた。「おらも手伝うべ」と住職は、バケツに入った黒く汚れた水とボロボロになった雑巾で、拝むようにやさしく即身仏の入った厨子を拭いているではないか。

まるで、ヒンズー教徒にとって、化学的な蒸留水よりも、たとえ汚物や細菌にまみれてようとガンジス川の水が聖なる水であるのと同じように。

 

即身仏信仰が知りたい。

そして、まず、得意な分野の科学技術的な側面から即身仏にアプローチしょうと思うようになった。

 

同上書のはしがき?にこうある。

 

江戸時代、出羽湯殿山で数々の荒行の末に断食死した行者のミイラを拝む即身仏信仰が流行した。過酷な重税や飢餓で苦しむ人々の救済を祈って、即身仏行者たちは、荒行の中に身を投じていった。最後は、武士を殺害した水呑み百姓(真如海上人)や用人足のミイラを二大本山に祀りこめるにいたった。即身仏信仰こそ“隠された一揆”だったのである。

 

つまり、即身仏信仰とは、苦しむ民の側に立つ反権力の一つの形ではないだろうか。

 

写真展には鉄門海上人、鉄龍海上人、忠海上人の3体の即身仏の写真があった。

正直言って、背景を知らなければ気持ちのいい写真ではない。

サブカルチャー物と誤解してしまいそうである。

あとから紹介する写真も同じだ。だから、ブログ上に写真は掲載しないことにする。

展覧会に行けないならば写真集で解説を含めて鑑賞することを薦める。