出典 講談社BOOK倶楽部

クレーの天使 パウル・クレー 画  谷川俊太郎 文

 

幼いころからその分野の素養が身についていないにんげんにとって、

音楽や絵画は「文章」を仲介にしないと理解できない事が多い。

 

パウル・クレーの絵はかつて見たとき、なんとも理解しがたい絵だった。

そして、作者自らがつけた題名との乖離がはなはだしいものだった。

 

しかし、片方のページいっぱいのクレーの絵、反対ページの谷川俊太郎の詩、その二つを合わせ見ることによって、「クレーの天使」たちが、とても親しいものに思えてくる。

そして、谷川の詩だけを読んだとしたら、きっと、こうまで心打つことにはならないような気がする。

 

ちなみに、日本のカトリック教会とプロテスタント教会が共同で訳した日本語訳聖書(新改訳)には、「天使」という言葉は出てこない。それは『主の使い』となっている。

 

【天使とプレゼント】

 

天使の横にさまざまなものが描かれている絵

 

何が天使から自分へのプレゼントか見分けてみようと問いかける

谷川はその詩の最後に

 

「それはたぶん

このわたしたちじしん・・・・」

 

 

【泣いている天使】

 

天使が泣いているのはよくわかる

でもなぜなぜ泣いているのかは絵からはわからない。

 

「てんしはわたしのためにないている」

 

【希望に満ちた天使】

出典 アールアートグッズ

 

彼方を見つめ

微笑んでいるかのような天使の絵

 

「やまにだかれたかった

そらにとけたかった

すなにすいこまれたかった

ひとのかたちをすてて

 

はだかのいのちのながれにそって」

 

【未熟な天使】

 

ここに至ってクレーの絵と谷川の詩がどう結びつくのか理解できない。

絵の説明もできない。

しかし、

 

「せかいはたべきれないごちそう

 

かなしみすらいきるよろこびだと

あったこともないてんしはいう

おこったように」

 

こんなふうな心になれたとしたら

たぶんそれが天使なのだろう。