南北首脳会談が、板門店で行われる。

 

画像出典現地オプショナルツアー予約専門サイトVELTRA(ベルトラ)

 

                                                                                                                                           

やっと太平洋戦争が終わったばかりだというのに、

東欧ではソ連の衛星圏の拡大、アジアでは中国共産党人民軍が国民党軍を台湾にまで追い出す。

 

この共産主義の拡大を恐れ、防ぐための包囲網が東アジアでは韓国・日本であり、南アジアでは南ベトナムであった。そこで行われたのが朝鮮戦争とベトナム戦争である。朝鮮戦争は1953年から未だに停戦中だが、ベトナム戦争は1974年のサイゴン陥落をもってアメリカの敗戦撤退となった。アメリカ兵の5万人ベトナム人などの犠牲者100万人の戦争だった。1967年当時国防長官だったマクナマラの指示で作成された報告書が「アメリカ合衆国のベトナムにおける政策決定の歴史・1945年から1967年」というタイトルの文章だった。これが、のちに【ペンタゴンペーパーズ】とよばれる重要機密報告書。

 

報告書には、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4人の大統領が国民や議会に虚偽の報告をし、他方でCIAと軍はベトナムで暗殺、ジュネーブ協定違反、不正選挙・・などを行っていたという事実が記されていた。それ故に、極秘文書だった。

 

マクナマラ国防長官は、(後世の歴史家による検証のために作成を命じたという。)ベトナムでの戦況が悪くなっていること自らも見たにも関わらず、マスコミには、笑顔でアメリカの優勢を伝える。

 

現実の政策に反映させるためでなく、後世の歴史家の判断の資料として、作成された。ということに驚くが、

文書はないことにする。改ざんしてしまう。覚えていない。というこの国の政府や官僚より歴史家には有難い事かもしれない。

 

1969年、ベトナムで戦火の中,

調査をし報告をしたシンクタンク ・ランド研究所の軍事アナリスト、ダニエル・エルズバーグは、マクナマラの欺瞞に満ちた姿を見た後ある決意をする。そして、研究所の同僚と極秘文書を少しずつコピーをしていく。(映画のパンフによると、最初は連邦議会議員を説得して公式に国民に公開しようとしたが、失敗したらしい。このシーンを見逃している。無かったかもしれない。)

やむを得ず、ニューヨークタイムズの名記者ニール・シーハンに渡された機密文書は、特報チームによる3ヶ月の精査を受けて、1971年6月13日に1面トップで公開された。

ニクソン政権は、6月15日に「記事は国家の安全保障を脅かす」として掲載差し止め命令を連邦裁判所に提訴した。また関係者を国家反逆罪で訴えようとしていた。