両毛線佐野駅南口を降りると駅前のロータリーで鋳物の鳩のモニュメントが迎えてくれる。

佐野市は10世紀ころに、河内の国から移住した鋳物師が藤原秀郷の命で兵器類を鋳造したのが始まりという「天明鋳物」でも有名である。(佐野ラーメンや佐野厄除け大師だけではない。)

電話ボックスも鋳物。

その鋳物師たちが住んだ町が金屋町、市の中心である。

古い建物が多く残されていてこの旧影澤医院も明治44年に造られた。玄関にポーチがありその上部にベランダがある洋風建築である。

佐野教会は1934年(昭和9年)に建築された。木造2階建て、切妻屋根。棟の前面に塔屋を設けている。外装は板張り、正面は、バラ窓風の造りの左右に尖頭アーチ風の長窓を配したゴシック風の建物である。設計者は、早稲田大学教授佐藤功一。(登録有形文化財)

佐野でのキリスト教伝道は新島襄の指導によるらしく、明治21年頃から行われた。足尾鉱毒事件の田中正造も一時自宅を開放した。(先の安中教会の牧師柏木義円も鉱毒事件に関わった。)佐野教会は正造とともに鉱毒事件を戦った長島与八によって創立された。

近くには、カトリック佐野教会もあるが、この建物は1953年建築である。