大学 去りゆく立て看板 (朝日新聞2018年1月16日 夕刊)
1960年代70年代には立て看板が乱立していた大学のキャンパスが様変わりしているという記事があった。
若い人たちには??の記事だが、団塊の世代や近い世代の人には、懐かしい「タテカン」という言葉。
千葉県佐倉市にある「国立歴史民俗博物館」で珍しい展示があった。(現在は終了)
「1968年 無数の問いの噴出の時代」
学園紛争時代のことをあまり語ってこなかった山本義隆氏(駿台予備校講師、物理学史の名著「磁力と重力の発見」の著者、かつて東大物理学科で素粒子論を専攻、元東大全共闘議長)
が個人で保存している資料も公開されるというので出かけた。
国立の機関でこんな企画展が開催されることだけでも企画者の意欲が感じられた。
京成佐倉を下車し、国道296号を上ると、佐倉城址に大きな建物が見える。
外堀を渡り坂を上る
配布されたリーフレット
小田実のべ平連での言葉は平易だった。そして、単なる市民だけの運動としてだけでなく、平和を目指した当時の公明党(今はどうなってしまったのだろう)や社会党、共産党などとも共闘を目指していた。その精神は反原連首都圏反原発連合にも生きているように思う。
そして、全共闘運動、「問うこと」を忘れてしまっていたわたしには、彼らの発した「問」は今も胸を突き刺す。しかし、「民青殲滅」などと叫んでいた暴力的な集団がいたことは展示にはなかった。
ただ、懐かしいだけでなく、「問を忘れた」自分への問いかけも誘う展示だった。
尚、一般展示の(民衆の歴史)展示も、国宝や重文の企画展に群がる中高年の一人である自分に「活」を入れられた。国立歴史民俗博物館