信越本線各駅停車で、高崎駅から30分、安中駅で下車すると巨大な工場が見える。東邦亜鉛安中工場である。かつての安中公害訴訟(カドミウム中毒)https://ja.wikipedia.org/wiki/安中公害訴訟の原因工場である。工場を左手に見ながら、のこぎり型の妙義山、雪をかぶった浅間山を正面に見ながら碓氷川沿いを歩く。

 

 

安中教会の有志達によってつくられた新島学園http://namesv.neesima.ac.jp/前を通り、碓氷川を渡る。

 

 

やがて、国道18号線に出たら旧安中宿を道なりに歩く。

 

 

NHK大河ドラマの「八重の桜」の主人公 (山本覚馬の妹)八重の夫が同志社大学の創立者、新島襄である。襄は安中藩主板倉家の祐筆(書記)であった新島家の後継ぎとして神田錦町に生まれた。学士会館横に生誕の地、の碑があるという。

この有田屋http://www.aritaya.com/は八重と襄が安中に来た時に何度か泊まった醤油屋で、安中教会を経済的に支えた豪商で、新島襄の洗礼を受けた30人のうちのひとり湯浅治郎の生家。また、治郎の五男、八郎は、同志社大学の総長や国際基督教大学の初代総長に就任した。

湯浅治郎の生家。

 

 

 

安中教会の案内板を右折して、坂を上ると旧安中藩の屋敷跡、旧碓氷郡役所にぶつかる。駅から徒歩で20~30分。

 

 

その横にあるのが、安中教会http://www8.wind.ne.jp/a-church/profile/index.htmlである。新島襄の召天30周年を記念して1919年(大正8年)古橋柳太郎(赤レンガ東京駅)の設計により造られた。

 

 

正面に大きな角形鐘塔を配置した、ロマネスク様式で、大谷石で作られている。屋根は銅板葺きである。

 

 

尚、ステンドグラスは、小川三知の作品https://matome.naver.jp/odai/2138480578049851101らしいが、上記の理由で中には入れなかった。

この教会では、国家主義者の海老名弾正(後に同志社大学総長)【初代】や反戦・非戦思想家、柏木義円【第5代】が牧師をしていた。

 

 

群馬県民は、半世紀も前から「上毛かるた」という、いろはカルタで県民意識を高められている。

 

そこでは、「へいわのつかい にいじまじょう」と歌われている。この「平和の使い」という言葉が県民の深層意識に埋め込まれている?ことがうれしい。

 

しかし、新島襄は群馬県の安中で生活したことはない。旧宅が移築されて保存されているが、彼は祖父母の住む安中藩の藩士長屋でアメリカからの帰国後、三週間過ごしただけである。その、三週間の間に龍昌寺、便覧社(日本で最初の図書館)、自宅などで伝道活動を行った。1878年の春に、新島襄より30名が洗礼を受けた。その人々が安中教会を形成した。

 桜の咲く時期に再び訪れてみたい。