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ネコに学ぶ・・うちにはいないけど

昭和23年生まれ。
太極拳を稽古したり、韓氏意拳を学んだりしています。
ヒモトレを知り、マンサンダルまで来て、
面白いことを探す毎日の忘備録

ネコはワガママに見える。

ネコは好奇心で動いてる。

そこが私と似てるところ。

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雨のせいか、

暖かくありません。

ストーブに火を入れないこの時期は、

冬より室温が低いのです。

土鍋やらオーブンやらを使います。

 

何処へ出掛けるでもないのに、

タカキビ甘酒を全部使おうと思って、

ブラウニーを焼きました。

焼き上がりです。

冷めてから切り分けました。

 

土鍋の方は、

高野豆腐と菜花の塩煮です。

 

もしやと思って、

釜北直売所へ、

山ウドを探しに行ってみました。

タケノコはどっさりありましたが、

山ウドは今日は出なかったよ、

もう終わりだねぇ、と言われました。

友達に食べさせたかったけれど、

今年はもう無理みたいです。

山菜は気候によるので、

あったり、無かったりです。

直売所の脇の桜のサクランボが、

赤くなり初めてました。

次に来たら摘んでみたい。

(鳥の方が早いでしょうが)

 

ワラビだけ買ってきたので、

あく抜きしました。

 

これはムカゴです。

茹でて、炒めて塩を振りました。

直売所をウロウロすると、

珍しいものに出会うことがあるので、

時々覗きます。

 

晴耕雨読で、

植松三十里の小説を読みました。

日本奥地紀行のイザベラ・バードと、

通訳をした伊藤鶴吉の話です。

 

イザベラ・バードの見た日本、

渡辺京の「逝き世の面影」

モースの「日本その日その日」

そこに描かれた人々のことが、

なんとも懐かしく思われます。

明治初年の頃の日本人は、

金持ちではないが幸福だった、

そういう言葉が形になっていたと思います。

 

皮膚病や眼疾が多かったらしい。

決して聖人ばかりだったわけじゃない。

それでもお金だけが規範ではなかったし、

鶴吉の父親たち幕府軍の遺体を、

(新政府が放置せよと命令したが)

柳川組の親分が、

如何になんでも亡くなった者が不憫と、

夜中に遺体を回収して葬り、

又お寺の住職が回向をしたことなど、

日本人の死生観からのことだと思う。

鶴吉がどんな場面でも、

人として誠実であることを、

生きる物差しとしていたのが、

こんな世の中だからこそ、

私の戻る地点だと思いました。

利用されてしまうことが多いけれど、

大まかにみて日本人の品位は、

大事にしたいものです。

 

夜は洗濯物を完全に乾燥させるのに、

ストーブに火を入れました。

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同じような毎日、

でも、変わらないものは無い。

又明日も何かを見るから書きます。