やはり他人とは思えない | ネコに学ぶ・・うちにはいないけど

ネコに学ぶ・・うちにはいないけど

昭和23年生まれ。
太極拳を稽古したり、韓氏意拳を学んだりしています。
ヒモトレを知り、マンサンダルまで来て、
面白いことを探す毎日の忘備録

ネコはワガママに見える。

ネコは好奇心で動いてる。

そこが私と似てるところ。
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衝動的に桐生まで行ってきました。

八高線の車窓には水田が広がってました。

 

わずかに残る麦畑も見えました。

北関東の二毛作の景色です。

 

朝は霧雨でしたが、

ベージュの傘は降らずの傘というあだ名ですが、

高崎に近づくと、

本当に晴れ間が見えてきました。

 

目的はこのさくらやでした。

閉店かと思ったら、

移転でした。

藍染を見に行きたくなって、

突然出かけたのです。

結果は買わずに帰りました。
藍染の生地は良かったのですが、
洋服地だったので、
私の手には負えないのです。
ノリコさんの洋裁の技術があれば、
自在なのですけれど。
私は耳のある反物(つまり解いた着物地)で、
しばらくは作ります。

 

さくらやのご主人が、

桐生の町絵図を下さったので、

有隣館に寄って、

 

展示会を見て、

蔵や樹齢の多い楠を見たりして、

 

西に歩いて、

美和神社に寄って、

(考えたら三輪神社でしょう)

 

西宮神社にも寄って、

近くの公園でおにぎり食べて、

山手通りを下って行ったら、

私が通っていた西中学校の前を通りました。

(この中学も廃校になったらしい)

昔の景色が思い出せませんでした。

60年前とは世界は変わったのです。

もう、昔のことを辿るのはやめようと思いました。

 

そのまま歩いて行って、

西桐生駅(上毛電鉄)の前に来たら、

(この駅の写真を撮れず残念無念。

とても素敵な駅舎でした。

窓口の人は無愛想でしたけれど)

発車直前だったので、

お思わず乗ってしまいました。

幼稚園の子の絵や七夕飾りが飾ってありました。

 

自転車を持ち込めることで有名な電車です。

私が数えたら10台ありました。

学生さんたちでした。

 

両毛線より赤城山が見えるかと思ったのですが、

赤城は雲の中でした。

刈り残る麦も間も無く刈られるでしょう。

 

何年か前に乗った時は緑溢れる景色だったのですが、

今日は太陽光発電パネルが並んでました。

日本の自然が壊れている、

そんな気がしました。

この景色、

パネルの素材、

回収のできないこと、

そんなことを考えると、

この光景が美しくは見えないのです。

上電の終点は西前橋駅。
JR前橋駅まではシャトルバスに乗りました。
(歩きたかったけれど地理が分からず)
 

両毛線に又乗って、

高崎経由八高線で帰りました。

 

帰ってから、地図をよーく見たら、

他に行ってみたら良かったかもしれないと思いました。

次は全く新しい場所を見るための旅にします。

 

そして、

往復の電車で本を読み終えました。

稲垣えみ子は4冊目かな。
 
歳はえらく違うのに、
もう他人とは思えないほど、
分かるなぁ。
アフロえみ子はピアノと向かい合い、
私は太極拳や韓氏意拳と向き合ってます。
アフロさんは53歳からの再スタート。
私は30歳から45年間続けてます。
同じことを考えます。
この先にゴールはあるのか?
 
アフロさんはプロの米津先生に出会い、
私は小関先生に出会い、
毎月一回の練習、稽古に通うのは同じ。
先生の言ったことにえっ!!と思い、
できないできないとのたうち回り、
たまにやったーと思うと勘違いだったり、
次の稽古で新しい発見をするのも同じ。
 
違ったのは、
アフロさんはグレングールドのように弾けるようになりたいと、
必死の練習で手の指を痛めるほどの目的があったけれど、
私には(前には出ていたけれど)大会とかの目標は無い。
というか、
韓氏意拳には大会とか、
人と比べるということが無い。
 
同じ感覚もあるし、
違う点もあるけれど、
身体全体への気づきの大事さ、
身体の老化以上の脳の老化と向き合うのは同じ。
 
私より17歳も若いアフロさんが、
仕事もそこそこに練習を重ねて、
身体の故障を経験して、
それでも一つずつ課題を超えて、
バレンボエムの演奏を聞いて、
たどり着いたところは、
「今」曲に対する想いを丁寧に弾くことだった。
 
私はあとどれくらい生きられるか、
どのくらいピアノが弾けるか、
(どのくらい韓氏意拳の稽古に行けるかと重なる)
身体と脳の老化を突きつけられながら、
「先」など無い、
今ここに集中すれば良い。
どんな小さな一歩でも、
自分を信じて、
人を信じて、
世界を信じて、
今を楽しむ。
評価されることでもなく、
上手くなった下手になったと、
一喜一憂するのではなく、
生きている間に精一杯生きれば良い。
私に言われているような気がしました。
 
若くない私が稽古に参加するのも、
なんだか申し訳ない気がしていますが、
多分、
順番にやってくる老化だから、
今の私の精一杯でいること、
精一杯楽しんで生きること、
それを見てもらいます。
 
まとまらないけれど、
読んで良かった。

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