今日も冬晴れの素晴らしいお天気でした。

こんな日は、自分の家では洗濯機をぐんぐん回して、布団を干して、窓全開で掃除機ブンブン…の日常…だった…けどニヤリ

イヤイヤ星人3歳児の保育園にご出発の後の静けさニコニコ

娘と赤ちゃんと3人の穏やかな時間を、味わうように、お茶をいただきます。


お天気が良いので、部屋の中にいてはもったいない。

赤穂義士のお墓のある泉岳寺に行ってみました。

萬松山泉岳寺 中門


山門


『山号の萬松山は松平の松より、「松萬代に栄ゆる」の意から、寺号泉岳寺は、徳川に因み、「源の泉、海岳に溢るる」の意からつけられたと旧梵鐘の銘に記されています。』





大石内蔵助像  

『忠臣蔵の主役ともいえる赤穂藩筆頭家老・大石内蔵助吉雄が元禄袴を身につけ、連判状を手に江戸のある東の空をじっと睨んでいる姿を表した銅像です。』


兵庫県民なのに『忠臣蔵』のことはほとんど知りませんでした。


かいつまんで説明すると

元禄14年(1701年)3月14日、江戸城松の廊下において、播州赤穂藩主の浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけた「松の廊下の刃傷事件」が発生。

元禄15年(1702年)12月14日未明、赤穂義士47人は本所の吉良邸討ち入りました。

泉岳寺にて吉良の首級を浅野内匠頭の墓前にささげました。

この1ヶ月半後、赤穂浪士たちは名誉ある切腹の後、浅野内匠頭墓の隣に埋葬されました。

本堂  義士祭が12月14日におこなわれます。



赤穂義士の墓地です。

案内図には大石内蔵助らの墓が整然とされています。

墓所ですので、写真を撮るのを少し遠慮しました。


入り口でお線香をいただき、1〜2本ずつお供えします。


吉良上野介の首級を洗ったという井戸。

大石内蔵助が代表して墓前にささげたということです。


義士たちの図

違い鷹の羽の家紋がかっこいい

「忠」の提灯も


主君の仇討ちをなし、お家お取り潰し、切腹させられる時代に生まれなかってよかったえー

まあせいぜい町娘か農民だったでしょうが…


2時間程の散歩。買い物して、帰って沐浴が待っています。

そうこうしていると、3歳児が元気にただいま〜

でもライバルの赤ちゃんにママを取られて

イヤイヤ〜😤😫😫

わかるよ、その気持ちにっこり