その年の日本は、暑い夏を迎えていた。
水不足を新聞各紙え節水を呼びかける記事を伝えていた。
臨月を迎えていた美子は、友人と銀座にいた。
あまりの暑さにアイスクリームで涼をとっていた。
「あまり冷やさない方がいいかもよ。」
「これだけ暑いとどうしてもねぇ。」
悪戯っぽく笑って見せた。
「ねぇ。男の子かなぁ。女の子かなぁ。」
「女の子が欲しいなぁ。上が男の子だから。」
37年1月に長男を授かった美子は、次は女の子が欲しかった。
妊娠が解ってからは、おなかの子供に教えるかのように
編み物や料理、洗濯、掃除、植木に花を育てる等、今まで以上にに行っていた。
最初の陣痛を感じたのは、その時だった。
東京オリンピックを2か月前に迎えた夏は、高度成長期を迎え日本が活気づいていた。
終戦から19年後のことである。
高度成長期を迎えた日本は、核家族化となり、洗濯機、冷蔵庫、テレビが普及し
お洒落を楽しむ時代となった。
交通も整備され、首都高速や新幹線の開通も、国民の気持ちを高揚させていた。
しかし、まだ戦後の爪痕も引きずっていた時代でもあった。
第二子を出産したのは、その日の夜中、23時37分のことだった。
自宅へ戻った美子は、板橋に住む母親へ電話で連絡を入れ、同区内にある日大病院に入院した。
出産後、真夏と言うのに体中を寒気が襲い、厚い布団を何枚も掛けてもらったという。
「体中が震えてねぇ。寒くて寒くて。」
と、その頃を思い出しながら、話してくれたことを覚えている。
助産婦さんから男の子だと伝えられた時には、女の子でない事を残念に思ったが
元気に生まれたことに感謝していた。
島田敬志の誕生である。