「家光の御休息所から礎石」…情報!
江戸時代初期に徳川将軍が江戸と京都を往来した際に宿泊した、
野洲市の国史跡の城郭「永原御殿跡」の本丸跡から、
代家光が寝所として使った「御休息所」の建物礎石や礎石を抜き取った痕跡が見つかった。
現存する当時の建築図面「指図」の柱の位置とほぼ合致する。
御休息所跡から見つかった礎石・根石
*1634(寛永11年)年の家光上洛に合わせて、その1年前に拡張された。
3部屋で構成し、格式が最上位の西側部屋が家光の寝所だとです。
徳川家光が宿泊した場所
*家光は7月8日の1泊だけ利用したという。
永原御殿跡位置図
市教委は2017年から御殿跡の発掘調査を続け、
23年度は指図にある御休息所の存在を明らかにするため60平方メートルを調べた。
(2024/3/21付中日新聞参照)
前回の永原御殿情報