ここに卑弥呼が暮らしていた!?

復元された「卑弥呼の館」…より

 
当時、卑弥呼が暮らしていた館を想像的に再現した模型が設置されています。
横5メートル、縦3メートルという大型模型で、環濠と城柵によってかこまれた内部には、
卑弥呼の館のほかにも政事をつかさどった建物や倉庫、櫓なども再現されています。
 
『魏志倭人伝』によると、女王になってから卑弥呼の姿を見たものは少なく、
一人の男子が飲食を給仕するために卑弥呼のもとに出入りしていたと記述されています。
この館のなかで卑弥呼はどのような暮らしを送っていたのでしょうか。
 ①卑弥呼についてわかっていることは多くなく未だに謎だらけの人物。
              ②卑弥呼の統治の仕方は呪術や占いを用い「神からのお告げ」をもとに行っていました。
しかし卑弥呼自身が人前に出て統治を行うことはほとんどなく
その多くが卑弥呼の弟を通じて統治されていました。

                     ③結婚もせず子供もいなかったとされています。

                     ④中国の魏志倭人伝にあるように中国の魏という国へ使者を送り親魏倭王と金印をもらった。

 

魏志倭人伝によれば倭国大乱(日本列島全体での争いだったと考えられています)の中

卑弥呼を女王に立てたところ騒乱が収まったと記されています。

卑弥呼の死後、男の王が玉座につきましたが再び戦乱が始まったとされています。

この戦乱は卑弥呼の血縁関係のある「壱与」を女王として立てることで収まりました。

壱与=卑弥呼の跡を13歳で継いだとされる女性

鏡のいろいろ!

大阪弥生文化博物館「鏡」展示より。