(吉田出雲守豊雄(重綱))

豊雄はまれにみる強弓を使い、

和田山から射た矢が

箕作山まで届いたという(武芸小伝)

強弓ともよく和田山から箕作山まで飛んだと書いたものですね。

*武芸小伝=日夏繁高『本朝武芸小伝』(新編武術叢書)

 

【参考資料】

(吉田重氏)…父 吉田豊雄(重綱)

日置流弓術を学び、当主・吉田重綱の娘を娶り吉田家に入るが、

後に養父重綱と不仲になり、彼の弟・業茂に師事する。のち自ら印西派を興した。

この時代の人物だったのですね。↓

豊臣秀次結城秀康松平忠昌に仕え、大坂の陣後(1615)は徳川氏に召し抱えられ、

徳川家康秀忠家光の3代に従った。

嫡子・重信は家光の旗本兼将軍家弓術指南役を務めた。