本堂裏山が長光寺山
(長光寺・瓶割山の山名)
元亀元年(1570)に、信長の朝倉氏攻めの際、長光寺城に籠城した柴田軍は、
朝倉氏と同盟を結んだ近江守護佐々木六角承禎( 義賢)と戦った際に、
六角承禎(義賢)によって水を絶たれた。
しかし、勝家は馬の体を水で洗ったり、
手洗い後の水を惜しげもなく捨ててみせるなどして余裕を示し、
城中の水瓶を打ち割って城兵を奮い立たせ、
戦いに勝利したことから「瓶割の柴田」の異名をとったという伝承に由来する。
” 元亀元年(1570年)記録”より深堀!
4/20…1570(永禄13)年、信長は上洛命令を無視した朝倉義景の討伐に向かう。
織田軍は坂本を北上し22日に若狭へ入る。(金ヶ崎の退き口)
1570(永禄13)年4月23日、元号が「元亀」に改められる。
4/25…1570(元亀元年)、越前敦賀へ進軍。金ヶ崎城の東側にある手筒山城を攻撃。
4/30…1570(元亀元年)、織田信長が越前の朝倉義景を討つため若狭国へ攻め込もうとしたとき、
江北の浅井長政が背き、信長が朽木街道を通って京に逃げ帰った事件。(浅井長政の謀反)
5/9…信長は大津瀬田城へ向かうが六角の残党勢力が支配していたため、野洲永原城へ入る。
信長は永原城に佐久間信盛、長光寺城に柴田勝家を置く。
長光寺記録を調べていると織田信長。柴田勝家の動きが理解できます。
6/19・・・1570(元亀元年)、信長が浅井討伐のため岐阜城から出陣。(姉川の戦い)
佐久間信盛・柴田勝家・森可成・木下藤吉郎・池田恒興は東の浅井軍と対峙する。
本願寺との第一次石山合戦が始まるころ。
8月20日、信長が岐阜城から出陣。
*8月22日、織田信長・長光寺に泊る。…説明を受けた個所です。
8月23日、上洛して本能寺へ着陣する。
8月26日、野田・福島へ攻撃開始の陣を布く。
までの記録を紐解きました。
柴田勝家の刀入れ箱…長光寺保管
(長光寺山で鷹狩の記録)
長光寺(瓶割山)上空のトビ(鷹)!・・・11/21撮影
【資料】
①佐久間信盛=織田信長家臣団の筆頭格人物。
②野田城・福島城の戦いは元亀元年(1570年)8月26日から9月23日に行われた戦い。
この後10年にも亘る石山合戦の端緒と言える戦いで、別名「第一次石山合戦」とも言われている。
③第一次石山合戦=元亀元年9月12日(1570年10月11日)から天正8年8月2日(1580年9月10日)にかけて行われた、
浄土真宗本願寺勢力と織田信長との戦い。
本願寺法主の顕如が石山本願寺に篭って戦った。





