彦根城御殿・・・表御殿の成立について!
天下分け目の戦い「関ヶ原の合戦」後の論功行賞により、西軍の総師石田三成の居城であった佐和山城を与えられたのは、後に徳川四天王の1人として讃えられる井伊直政であった。慶長6年(1601)正月直政は上野国(こうづけのくに)・高崎城より佐和山城に入る。ところが直政は、関ヶ原の合戦で受けた鉄砲傷が悪化して翌年死去。直政より後事を託された家老「木俣守勝」は、城の移築計画を徳川家康に計る。佐和山・彦根山・磯山(米原市)の3山を候補にあげ、彦根山への移築が決定した。慶長9年7月1日新たな築城工事が始まった。同年末には、鐘の丸の御広間が完成。2年後には、本丸・天守が完成すると天守前に御広間が建立され、直政の嫡子・直継はここを御殿としている。慶長19年(1614)豊臣勢力の一掃を策した大坂冬の陣・夏の陣が勃発。彦根城の築城は一時的な中断を余儀なくされた。大坂の陣後は直孝によって築城工事が再開された。元和8年(1622)ころには、城郭の全容が完成しました。(講義資料より学ぶ)
 
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向こうに見えるは「彦根城」
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「彦根・大洞弁天さん」!上り石段より彦根城を望む。(約2kmの位置か?)