荒神谷遺跡から出土した銅剣には
茎(なかご)部分に✖️印が彫られていました‼️

学説では「謎」となっていますが……

出雲王家の✖️印なんですね〜‼️ウインク



荒神谷遺跡の銅鐸と剣!
(別冊宝島  日本の古代遺跡より)
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拡大!
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✖️印が刻まれた銅剣の茎(なかご)部
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一般的に大和朝廷成立までの和(倭)国は
大きな争いもなく平和的に成り立っていった
と言われます❗️えー

しかし、九州北部から山陰にかけては
激しい戦争を示すものが出てるんですねー‼️びっくり


青谷上寺地遺跡  (鳥取県鳥取市青谷町青谷)
大量の遺物が発見され「地下の弥生博物館」と呼ばれます
調査の結果この地の集落は約1,200年前に突如姿を消したとされ
遺跡の東側の溝には100人分を超える人骨が見つかり、5,300点
人骨の内、110点に殺傷痕が確認されました❗️

成人女性の額に殺傷痕がある頭蓋骨や銅製の武器が残る骨盤など!
(別冊宝島  日本の古代遺跡より)
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これらの遺跡は古代出雲王家の存在と山陰に
伝わる出雲戦争があった事を物語っているので
しょうか⁉️えー


さて、この時代を中国の国史から
見て見ましょう‼️ウインク

魏志倭人伝では……
男子を王として70年〜80年続くが
倭国は乱れ、何年も攻めあった
そこで一人の女子を共に王に立てた
名を卑弥呼と言い鬼道を使い衆を惑わした
成人しているが夫はいなかった

後漢書では……
桓帝・霊帝治世の時 (146〜189年)
倭国大いに乱れ、互いに攻め合い
君主がいなかった
卑弥呼という女子が鬼道を使い衆を惑わし
これを共に王に立てた


出雲の伝承では、この中国の正史に書かれる
倭国大乱とは、ちょうど播磨と第一次出雲戦争
大和内紛、筑後の物部勢力の第一次大和東征の
時期に重なると言われます‼️びっくり


そして、卑弥呼(ヒミコ)❗️

これは、つまり姫巫女(ヒメミコ=女司祭者)
の事を言い、これを共に王に立てたとは
ヒメ・ミコ制の姫巫女と男王の祭政一致の形
を伝えているんですね‼️びっくり


ここに書かれる卑弥呼こそ、この時代
の大乱が治り三輪山の祭祀で歴代姫巫女で
大変な人気を誇ったモモソ姫なんです‼️照れ

※卑弥呼とは個人名ではありませんので
魏国から親魏倭王の称号をもらった卑弥呼
は238年の御方なのでモモソ姫とは別人です!

魏国から親魏倭王の称号を貰ったのは宇佐の月神
を信仰する姫巫女、豊玉姫です!
そして後を継ぐ台与(トヨ)とは娘の豊鍬入姫
の事なんですよ!

大神神社に月を表すウサギがあるのは、その為なんですね!
豊鍬入姫は月読命の月神信仰を桧原神社の地で広めました!
古事記に登場する天鈿女命(ウズメ)とは宇佐女(ウサメ)の事で
豊鍬入姫の事です!

月読命が古事記にあまり登場しないのも、天照大御神の前で
裸踊りするのも意味があるんですよ!


箸墓古墳の築造年代は3世紀中頃なので
モモソ姫とは時代が違います❗️
登美家根拠地の鳥見山周辺の鳥見山古墳群に
モモソ姫が眠っているのかなぁと思ったり……

箸墓古墳は後の姫巫女ヤマト姫かも⁉️キョロキョロ


どっちか分からないので
ヤマト姫  と  登美モモソ姫
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倭迹迹日百襲姫(ヤマト・ト・ トビモモソ・ヒメ)
としたのかな⁉️ニヤリ


卑弥呼が眠る箸墓古墳!
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モモソ姫は前任の姫巫女である母クニアレ姫
に似て信心深く、跡を継いで三輪山の姫巫女に
推挙されました❗️照れ


この頃の時系列は……

魏志倭人伝の男子を王として70年〜80年は
大和の初代大王  天村雲から続く海王朝を指し

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登美家の姫巫女が政権実務の王よりも民衆の
尊敬を集める様になり、登美家中心の磯城王朝
となった頃から戦乱の世に入っていき

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大和内紛:登美家、磯城家、海家の覇権争い❗️
大和フトニ大王、吉備津彦の播磨、一次出雲攻撃❗️
筑後の物部勢力の一次大和東征❗️

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物部勢力の大和侵入の戦乱後、モモソ姫の
宗教力(三輪山の大祭)によって大和が
まとまる❗️

モモソ姫はきっと凄く魅力的だったんでしょうね!ラブ

この頃に三輪山の大祭に全国から集まる人々
の為に纏向に神殿と宿舎が建てられました❗️
纏向遺跡は住居はありません!


纏向の神殿!
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また、この纏向の地は東出雲王家の登美家
(事代主系)の地盤であり九代当主の太田田根子
に因んで現代も太田の地名が残っています❗️ウインク

太田田根子は西出雲王家の神門臣家(大国主系)
から美気姫を娶りました❗️