【古代史の謎】”絵巻 旧約聖書 モーセ五書「申命記」新版第2巻 ワーエトハンナン 第1話” | 松下政経塾Life体験!そしてそれから

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その時々の興味あることや感じたこと等を自分なりに纏めて綴っていきます。

 

石川さんからの定期便が今週は溜まってしまっておりましたねーあせる

 

 

 

 

 

ご存知の通りに、ユダヤ教は経典が法律も兼ねているわけですが、この箇所は殊に個人的にはそこに目が行きます

 

なかんずく、先にも出て来てました「逃れの町」ですね

 

旧約聖書のこの部分の記載から行くと、ハムラビ法典よろしく「目には目を」で復讐による殺人は許容されていたみたいですね

 

ですが、それ以外の殺人は例え殺害意図がなく何らかの結果相手が死んでしまったとしても、情状酌量などということは一切なく殺人は殺人で罰せられることになっていて、その不条理を緩和するために「逃れの町」が設定されていたということは、そこは駆け込み寺ならぬ、駆け込み国となっていて、もしかしたら「本物の殺人者」であっても逃げ込めばセーフで中央権力から逃げおおせたのかもしれませんねぇ~目

 

 

日本においては長野が該当国であり、タケミナカタもイセツヒコも、だから長野に逃げ込んだのかもしれませんねイヒ

(洩矢神の子孫である諏訪大社上社の神長官家守屋氏の婿養子となった物部守屋の次男坊も、それ故に諏訪に逃げ込んだのかもしれませんよね)

 

「ここから出ません」じゃなくって大和朝廷側は捕まえ損ねたことと、そのような治外法権的な特権を有する地域が存在していたということを隠すためにタケミナカタもイセツヒコも「ここから出ません」と自分から言ったことにしたのカモキョロキョロ

 

 

ただここでは、3氏族に該当地があてがわれているということが特殊ですよねえー?

 

以前(といっても10年以上前かも!笑い泣き)に書きました、日本国はちょうど長野辺りで2つにわかれており、上下逆さまだった、つまり、九州と東北が中央でこんにちは!状態であったという説があり、その説を唱えドイツの学者と議論した明治時代の地質学者がいきなり亡くなったという記事書きましたよね?だから、青森に「日本国中央」と書かれた石碑があってもおかしくないって(「風間」の名の由来テーマを設定する前の古代史関連の記事は該当テーマで括られてないためテーマ検索では出てこないため、ご興味ある方はワード検索で探して観て頂ければと存じます ニコニコ )

 

その時の状態だと、今の東北と北陸地方の日本海側が太平洋に面していたことになるわけで、そうであるとすると、上記3氏族に割り当てられた地域ってちょうど「甲信越」地域ですよね。。。

 

後に「流刑地」とされた諏訪以外は日本では似たような地域はなかったようですが、特権とも思える地位を持っている諏訪のことを一番隠したかったのでしょうね

 

もしもそのような特権を付与した理由が旧約聖書にあるとするならば、諏訪の人々はルベン族、ガド族、マナセ族のいずれかであった可能性が高いのでは?(しかも、なんだか意味深の氏族ばっかですね汗うさぎ )

 

交わってはならない、情けすらかけてはならないとした異民族が7部族というのも気になります。。。

 

 

 

 

 

 

それから、「主」がどうしても日本神話の「一言主神」のように思えます

 

口にしたことが全て本当になるというのですから

 

ですが旧約聖書でもそうですが、主の言葉を直に聴き、「こう言ってらした」と言うのは祭司だけです

 

つまり、祭司の言葉が本当に神の言葉であったのかどうかは、申し訳ないですが定かではないですよね?

 

祭司もしくは「預言者」が強大な力を持ちえた仕組みがこの「伝言制度」なのでしょう