6月9日に起きた東海道新幹線の無差別殺傷事件で
犯人が写経をしていたとあったので、
写経は果たしてやる意味があるのか
その犯人の人生にどのような影響を及ぼしたか
その意義を考えてみる。
結論としては、意義はある場合とない場合があると思う。
意義がある場合は、
例えば、般若心経の一文字一文字を本当に深く理解した上で
その意味をちゃんと踏まえながら書き写せば、
かなり心にジーンと来て精神的な浄化・カタルシスと言った
効果が得られるだろうと思う。
ただし、その効果を得られる人は相当な手練れと言うか
人生においてかなり思考力・人間性に優れている人が
やった場合の話であって、
人生に絶望して誰でもいいから殺すみたいな
そういう次元の思考の人では
本当の効果は得られないだろうと思う。
おそらく、写経の本当の効果が得られる場合というのは
般若心経自体が好きとか、
仏教や漢字に純粋に興味があって
行なう場合の話であって、
救済を求めて手段的にする人では
本当の効果は得られない。
手段的な写経の多くは般若心経に良い言葉が書いてあるから
ただなんとなくそれを書き写して
「なんかイイ気持ち」「救われた感がする」だけであって
意味の無いテレビ番組を見て「あー面白い」と笑っているのと
大差はない。
ゆえに、救われたいと手段的に写経をすることは
無駄にテレビを見ていることと変わらないので、
問題を抱え、救われたいと願う人たちが写経する行為は、
結局、人生の問題を直視せずに
解決の方向へといっこうにシフトして行かないことになるので
写経して時間を消費する分、不利になり人生の問題が悪化する。
そのため写経には意義はない。むしろ弊害がある。
ただ得やすいメリットも挙げておくなら、
人生で一度くらいやっておけば
人間関係での話題の一つとして
使える時もあるかな(?)程度のレベル。
でも、だったら写経より読経、
般若心経を唱えた方が手っ取り早く済んで良いだろう。
と言う訳でまとめると、
写経は本当に般若心経が好きな人や
意味をかなり深くまでわかっている人がやるなら意義がある。
自身の救済のために手段的に写経することは
ほぼ無駄であり時間を消費する分、
自分の人生にマイナスなので意義がない。
そして、東海道新幹線の無差別殺傷事件の犯人は、
手段的な写経しかしておらず
そういった実質的に意味が無いことばかりやっているから
人生がより良く進展せず、絶望してヤケになって
「死にたい」「刑務所に入りたい」
「死刑になりたい」等という思いから
事件を引き起こすことにつながったのではないかと思う。