こんにちわ、風祭ゆきです。



皆さまご存知のように、映画監督の大島渚さんが、1月15日に亡くなりました。


日本の映画界を引っ張って来た大島さん。
偉大な監督でした。



私は、20代のころから16年間、大島渚さんの妹さんが社長のプロダクションに所属していました。

大島さんの「大島プロ」とは兄弟会社で、事務所は同じ場所にありました。

妹の大島瑛子さんは、大島さんが映画を撮るときは、プロデューサーとして。
瑛子さんのご主人は、有名な美術監督の、戸田重昌(とだ じゅうしょう)さん。
http://movie.walkerplus.com/person/52237/

そして、奥様は女優の小山明子さん。


公私にわたり、大変大変お世話になったのでした。



特に、日活からの出演依頼が来たときには、受けるべきか断ろうかと、迷って悩んでいた私に、素晴らしいアドヴァイスを下さったのです。



「俳優というものは、肉体労働者です。濡れ場のシーンで悩んでいるのでしょうが、体操だと思ってやってご覧なさい。役者がいかに肉体を使う仕事かがよくわかると思いますよ。それに、主役はやってみるもんです。」

あ~~、なるほど~~~って、思いました。
それで、やってみようと決心がついたのでした。

そう、やっぱり、1度は主役をやらなくちゃ、やめるにやめられないしね。

目には見えないけど、私だけの宝物だと思っています。

1本の映画を背負うということ。
映画い1本の重さを知ることができたのです。




いま、こうやって、女優という仕事を続けていられるのは、あのときの、あの言葉があったからです。

心から感謝しています。






大島さんが良くおっしゃってた言葉を思い出しました。
「僕の名前は大島です。監督は職業の名前ですから、呼ぶときはオオシマさんと呼んで下さい」と。

だから、私も、
「大島さん」
と、呼ばせていただいてました。


大島さん、ありがとうございました。
お疲れさまでした。

どうぞ、安らかにお眠り下さい。