友人に誘われて、東急文化村へ「サガン ー悲しみよこんにちはー」を見に行って来ました。
公式サイト http://www.sagan-movie.com/page.html
私は、子供の頃、決して映画少女でもなく、1年に1、2度父に連れられて、ディズニーの漫画映画か、ウィーン少年合唱団の映画を見に行くくらいでした。
もっと言えば、幼い頃は、日劇の地下の映画館(現在、マリオンのあるところ)でニュース映画と漫画映画をやっていて、それを父と一緒に見に行ったものです。
いつも、すごく混雑していて、人いきれで呼吸が苦しくなってしまうくらいで、父に肩車してもらわないと、スクリーンが見えなかったのを、よく憶えています。
きゃっ、これを言うと歳がばれちゃうっ!!!・・・。
って、年齢は公開済みでしたっけ。
最近はハリウッド製エンターテイメント映画が多く公開されていて、フランス映画ってなかなか見るチャンスがないですよね。
私自身、ドッカ~~~ン、ドッカ~~~ンと、物量と大音量で迫ってくるハリウッドの映画、大好きです。
でも、たまにはヨーロッパのしゃれた映画もいいもんです。
また近頃は、夫婦50割っていうのを利用して、二人でたったの2,000円で映画を見られちゃうんですよね。
椅子は良い、音も抜群、近い、安いという、ご近所のシネコンにすっかりはまっています。
という訳で、ちょっとオシャレして、都心の映画館へフランス映画見に行くなんて、とっても久しぶりなことをしてしまったのでした。
フランス映画って、人と人、人と景色などの距離感が、日本人には、とても心地よいと思うのです。
多分、日常生活にある距離感が、ヨーロッパと日本は近いのではないかしら、って言うのは私の持論ですけど・・・。
先が長くなりそうなので、気の短い人のために結論からいうと、「サガン」、と~~っても面白かったですよ~~。
誘ってくれた友人に、とてもとても感謝です。
スキャンダラスな生涯を送った、フランソワーズ・サガンの半生を描いたこの映画、女性監督の作品らしいきめ細やかな描写や、ちょっとしたジョーク、エスプリがきいた表現もとても好もしい。
最近、知ったのことなのですが、ヨーロッパ人の目は、日本人の目に比べて、茶系の色が感じにくく、ブルーはより感じやすいというのです。
それは、目の虹彩が、日本人は黒に近く、ヨーロッパ人はブルーなどの薄い色の人が多いことに由来するとか。
これは、写真家の渡部さとるさんの著書「旅するカメラ」に書いてあったのですが、これを読んで、「ああ、なるほど!!!」と、思ったことがたくさんあります。
例えばフランス映画の色調が、アンバーが強く感じる、つまり茶色が少し強くて、渋い落ち着いた色に見える。
また、北野武監督の映画が、ヨーロッパで「北野ブルー」と言われてもてはやされていること。
日本人の撮る映画は、ヨーロッパ人には、全体が青みがかって見えるのでしょうね。
日活映画に出ていた頃、カメラマンや現像所のスタッフとフィルムの話をしていて、コダックとフジフィルムの色調の違いなどの話を聞いていて、不思議に思っていたことも、これで解決って思いました。
話はそれましたが、フランス映画は久しぶりに見ると、色合いもしっとり落ち着いた感じがして、心地よいのです。
サガンが、1954年に18歳という若さで「悲しみよこんにちは」でセンセーショナルなデビューをしたときに、世界中で出版され、その時に手にした印税は、今のお金でなんと340億円だそうです。
そんな大金を、18歳の若さで手に入れてしまったら、人生、狂ってしまうでしょうね。
その後、2度の結婚、出産、ギャンブル、九死に一生を得た交通事故、華麗な交友関係、ギャンブル、ドラッグ等々、スキャンダラスな人生を送ったサガン。
裕福な家庭で育った、早熟で寂しがりやの天才少女が、そのまま駆け抜けていった、という印象です。
「悲しみよこんにちは」のヒロインのセシルが、サガンそのものなのでしょう。
これだけ、山あり谷ありの人生のうち、どのエピソードを映画に生かすかが、ディアーヌ・キュリス監督の悩みどころだったことでしょう。
しかし、選ばれたエピソードは、どれもこれも刺激的で、かっこよく、哀しくもあり、サガンの人生を追体験したような気がします。
日活で畑中葉子主演で、サガンの「悲しみよこんにちは」を翻案した映画「愛の白昼夢」を製作したのですが、原作で主人公の父と再婚する義理の母、後に謎の死を遂げる女性を、私風祭ゆきが演じました。
サガンの小説は、私の思春期の頃には、そのタイトルが詩的過ぎて軟弱な感じがして、読むのを敬遠してしまいました。
映画に出演することになって読んでみたのですが、少女が大人に成長していくときに誰もが通り過ぎる、父親への思いや、大人の女性に対する反感、憧れ等々、ショッキングなほど瑞々しい感性で描かれていて、もっと早く読んでおけばよかったと思ったものでした。
今読んでも決して古びない、鮮烈な文章でつづられていて、永遠に若者に支持されていく文学だと思うのですが、残念なことにほとんど絶版だそうです。
しかし、「悲しみよこんにちは」が新しく河野万里子さん訳で出ていますので、是非是非読んでみてください。
サガンというペンネームはプルーストの小説「失われた時を求めて」から借り、「悲しみよこんにちは」というタイトルはポール・エリュアールの詩からとったという。
タイトルが詩的なのは、そういう訳だったですね。
フランソワーズ・サガンを18歳から2004年に69歳で亡くなるまでを演じるのはシルヴィ・テステュー。
「模倣するのではなく、近づくことを目指した」(本人談)そうですが、それはそれは似ているのです。
たくさんのインタビューを見たり聞いたりして、サガンの話し方をマスター、リズムの研究や、声の出し方から舌の使い方まで研究したそうです。
2004年まで生きていた人なので、多くの人々が実際のサガンを憶えているのですから、大変なことだったと思います。
ディアーヌ・キュリス監督が「サガンに生き写し」と、太鼓判を押したそうです。
私は、サガンをスティール写真でしか観たことないのですが、それだけでも似ていると思います。
スクリーンに甦ったサガンを見るだけでも、観る価値がある映画かな。
いやいや、俳優たちの演技も、素晴らしい。
ブルジョワの生活も、かいま見るのも楽しい。
また、「19XX年」などと、テロップを使うわけでなく、ファッションや、登場する車などで、時代の移り変わりを表現するのも、とても粋な感じがします。
ファッションや、車のデザインの移り変わりを観るのも、戦後の現代ファッション史、自動車デザイン史みたいで楽しい。
ほんと、いい映画でした。
まだまだ、全国で観られるようですよ。
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公式サイト http://www.sagan-movie.com/page.html
私は、子供の頃、決して映画少女でもなく、1年に1、2度父に連れられて、ディズニーの漫画映画か、ウィーン少年合唱団の映画を見に行くくらいでした。
もっと言えば、幼い頃は、日劇の地下の映画館(現在、マリオンのあるところ)でニュース映画と漫画映画をやっていて、それを父と一緒に見に行ったものです。
いつも、すごく混雑していて、人いきれで呼吸が苦しくなってしまうくらいで、父に肩車してもらわないと、スクリーンが見えなかったのを、よく憶えています。
きゃっ、これを言うと歳がばれちゃうっ!!!・・・。
って、年齢は公開済みでしたっけ。
最近はハリウッド製エンターテイメント映画が多く公開されていて、フランス映画ってなかなか見るチャンスがないですよね。
私自身、ドッカ~~~ン、ドッカ~~~ンと、物量と大音量で迫ってくるハリウッドの映画、大好きです。
でも、たまにはヨーロッパのしゃれた映画もいいもんです。
また近頃は、夫婦50割っていうのを利用して、二人でたったの2,000円で映画を見られちゃうんですよね。
椅子は良い、音も抜群、近い、安いという、ご近所のシネコンにすっかりはまっています。
という訳で、ちょっとオシャレして、都心の映画館へフランス映画見に行くなんて、とっても久しぶりなことをしてしまったのでした。
フランス映画って、人と人、人と景色などの距離感が、日本人には、とても心地よいと思うのです。
多分、日常生活にある距離感が、ヨーロッパと日本は近いのではないかしら、って言うのは私の持論ですけど・・・。
先が長くなりそうなので、気の短い人のために結論からいうと、「サガン」、と~~っても面白かったですよ~~。
誘ってくれた友人に、とてもとても感謝です。
スキャンダラスな生涯を送った、フランソワーズ・サガンの半生を描いたこの映画、女性監督の作品らしいきめ細やかな描写や、ちょっとしたジョーク、エスプリがきいた表現もとても好もしい。
最近、知ったのことなのですが、ヨーロッパ人の目は、日本人の目に比べて、茶系の色が感じにくく、ブルーはより感じやすいというのです。
それは、目の虹彩が、日本人は黒に近く、ヨーロッパ人はブルーなどの薄い色の人が多いことに由来するとか。
これは、写真家の渡部さとるさんの著書「旅するカメラ」に書いてあったのですが、これを読んで、「ああ、なるほど!!!」と、思ったことがたくさんあります。
例えばフランス映画の色調が、アンバーが強く感じる、つまり茶色が少し強くて、渋い落ち着いた色に見える。
また、北野武監督の映画が、ヨーロッパで「北野ブルー」と言われてもてはやされていること。
日本人の撮る映画は、ヨーロッパ人には、全体が青みがかって見えるのでしょうね。
日活映画に出ていた頃、カメラマンや現像所のスタッフとフィルムの話をしていて、コダックとフジフィルムの色調の違いなどの話を聞いていて、不思議に思っていたことも、これで解決って思いました。
話はそれましたが、フランス映画は久しぶりに見ると、色合いもしっとり落ち着いた感じがして、心地よいのです。
サガンが、1954年に18歳という若さで「悲しみよこんにちは」でセンセーショナルなデビューをしたときに、世界中で出版され、その時に手にした印税は、今のお金でなんと340億円だそうです。
そんな大金を、18歳の若さで手に入れてしまったら、人生、狂ってしまうでしょうね。
その後、2度の結婚、出産、ギャンブル、九死に一生を得た交通事故、華麗な交友関係、ギャンブル、ドラッグ等々、スキャンダラスな人生を送ったサガン。
裕福な家庭で育った、早熟で寂しがりやの天才少女が、そのまま駆け抜けていった、という印象です。
「悲しみよこんにちは」のヒロインのセシルが、サガンそのものなのでしょう。
これだけ、山あり谷ありの人生のうち、どのエピソードを映画に生かすかが、ディアーヌ・キュリス監督の悩みどころだったことでしょう。
しかし、選ばれたエピソードは、どれもこれも刺激的で、かっこよく、哀しくもあり、サガンの人生を追体験したような気がします。
日活で畑中葉子主演で、サガンの「悲しみよこんにちは」を翻案した映画「愛の白昼夢」を製作したのですが、原作で主人公の父と再婚する義理の母、後に謎の死を遂げる女性を、私風祭ゆきが演じました。
サガンの小説は、私の思春期の頃には、そのタイトルが詩的過ぎて軟弱な感じがして、読むのを敬遠してしまいました。
映画に出演することになって読んでみたのですが、少女が大人に成長していくときに誰もが通り過ぎる、父親への思いや、大人の女性に対する反感、憧れ等々、ショッキングなほど瑞々しい感性で描かれていて、もっと早く読んでおけばよかったと思ったものでした。
今読んでも決して古びない、鮮烈な文章でつづられていて、永遠に若者に支持されていく文学だと思うのですが、残念なことにほとんど絶版だそうです。
しかし、「悲しみよこんにちは」が新しく河野万里子さん訳で出ていますので、是非是非読んでみてください。
サガンというペンネームはプルーストの小説「失われた時を求めて」から借り、「悲しみよこんにちは」というタイトルはポール・エリュアールの詩からとったという。
タイトルが詩的なのは、そういう訳だったですね。
フランソワーズ・サガンを18歳から2004年に69歳で亡くなるまでを演じるのはシルヴィ・テステュー。
「模倣するのではなく、近づくことを目指した」(本人談)そうですが、それはそれは似ているのです。
たくさんのインタビューを見たり聞いたりして、サガンの話し方をマスター、リズムの研究や、声の出し方から舌の使い方まで研究したそうです。
2004年まで生きていた人なので、多くの人々が実際のサガンを憶えているのですから、大変なことだったと思います。
ディアーヌ・キュリス監督が「サガンに生き写し」と、太鼓判を押したそうです。
私は、サガンをスティール写真でしか観たことないのですが、それだけでも似ていると思います。
スクリーンに甦ったサガンを見るだけでも、観る価値がある映画かな。
いやいや、俳優たちの演技も、素晴らしい。
ブルジョワの生活も、かいま見るのも楽しい。
また、「19XX年」などと、テロップを使うわけでなく、ファッションや、登場する車などで、時代の移り変わりを表現するのも、とても粋な感じがします。
ファッションや、車のデザインの移り変わりを観るのも、戦後の現代ファッション史、自動車デザイン史みたいで楽しい。
ほんと、いい映画でした。
まだまだ、全国で観られるようですよ。
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