こんばんは。

一人で黙々と農作業をしていると、いろいろな考えごとが頭を過ります。

それは例えば仕事の段取りだったり、はたまた際限のない妄想だったり、またその日の晩ごはんの献立だったりするのですが、巡り巡ってネガティヴな思考に陥っていることが多々あります。

僕はどちらかといえば、自分が楽観的な部類の人間じゃないかと思っています。

好きな言葉は「ま、いっか!」ですから。

それでも心配や不安は絶えず、誰かに不平や不満を覚えて「こん畜生め!」なんてことを考えたりすることもないではありません。

そのたびに「あぁ、俺ってやつは・・・」と自己嫌悪に苛まれるわけですが、この止めどなく湧き上がる思考を抑制できないものだろうかとかねがね思っているのです。

単調な仕事の傍らでいろいろと思いを巡らすことは効率的に感じる反面、どうも無意識に余計なエネルギーを放出している気がしてなりません。



そんな折も折、たまたま立ち寄った本屋さんでこんな書籍を見つけました。

$かぜまかせ

【以下引用】

私たちが失敗する原因は、すべてネガティブな考えごとにある。たとえば「さあ、頑張ろう」と決めたはずなのに、心が勝手に失敗したら嫌だと考え、頑張る気持ちを邪魔してしまうといった具合だ。心が勝手に考えることを止められれば、私たちは思い通りに生きることができるようになる。だが、それは難しい。なぜなら、心には「より強い刺激を求めて暴走する」という特徴があるからだ。淡くて穏やかな幸福感よりも、ネガティブな考えごとのほうがはるかに強い刺激の電気ショックを脳に与えてくれるのだ。また考えるのを止めようとしても、心は勝手に話すのを止めない。考えごとを止めるには、頭でわかったつもりになるのではなく、実際に止めてみようと練習することが必要なのだ。



私たちは四六時中考えごとをしている。この考えごとが私たちの集中力を低下させている。たとえば、現代人は他人の話を聞くことが苦手になっている。わざわざ会おうと言って一緒に話をしているのだから、相手の話を聞こうという気持ちはあるはずだ。それでも聞けないのは、相手の話が始まると、心が勝手に考えごとを始めるからだ。私たちの心は、普段ものすごいスピードで動き続けている。「聞く」ことに専念しているつもりでも、そのすきまには人それぞれ膨大な量の無関係なノイズが混ざっているのだ。だからぼんやりと話を聞いていると、その間にたとえば好きな食べものイメージや、誰かに言われた嫌なセリフなど、大量の細かいノイズが入ってくるのだ。考える行為は最もパワーが割かれる行為だ。こうしたノイズが混ざった瞬間、私たちの聞く行為は途切れてしまうのだ。



私たちは常にさまざまな情報を受け取っている。そうした刺激に反応する心の衝動エネルギーのうち、最も大きなものが「心の3つの毒」、すなわち「欲」「怒り」「迷い」だ。入ってくる情報に対して、「もっと欲しい」と求める心の衝動エネルギーのことを「欲」と呼ぶ。たとえば、心にもないお世辞を言われ舞い上がっている時は、欲の煩悩エネルギーが活性化している。逆に入ってくる情報に対して反発する心のエネルギーのことを「怒り」と呼ぶ。たとえば、他人から嫌味を言われた時は、不愉快な対象を排除しようとする怒りの煩悩エネルギーが活性化している。私たちの心のすきまに入り込む膨大な量のノイズは、これら「欲」や「怒り」の煩悩とともに刻み込まれた情報であることが多い。こうした情報は時間の経過とともに反復される頻度や時間が小さくなる。そのため、普段は忘れたつもりでいる。だが実はいつまでも潜在化し、残っているものなのだ。その証拠に、理由もわからないまま何となく不快になることがある。これは「欲」や「怒り」と一緒に刻み込まれた情報が、うっすらと残響し続けているからなのだ。心の中で無駄なおしゃべりが増えていくと、心のメインメモリがそれに割かれてしまう。すると五感が鈍ってしまい、自分がしっかりと生きているという充足感が欠落してしまうのだ。



目の前のことに飽きて別の刺激を求める心の衝動エネルギーのことを「迷い」と呼ぶ。迷いがあると、相手が話していても心がさまよい、何も入ってこない状態になってしまうのだ。恋人と知り合った頃は新鮮で心がワクワクしているが、慣れてくると飽きて他の刺激を求めたくなる。そうなると、多くの人は脳の中の自分の好きなことや気になっていることに夢中になる。こうして相手に対する興味が薄れていくのだ。このように、一度「考えるクセ」をつけてしまうと、考えごとにひきこもりやすい性質になってしまうのだ。






考えることは生産的な行為であると思いきや、度が過ぎるとやはりマイナスの側面も多分にあるようです。




同じく、この本のタイトルも胸に響きました。

$かぜまかせ

過日、畑で農作業をしているところへ、近隣に住む年配の男性が話しかけてきました。

このあたりの男衆は口を開けば銭金か除草剤の話ばかりで、正直なところ辟易としながらも、まあそこは愛想よく付き合っていました。

ところが、だんだんおしゃべりのボルテージが上がり、僕に向かってこう言い放ったのです。

「あんたらの農業は趣味みたいなもんだからな」

もう、何十年ぶりかでブチギレましたね。

怒りを通り越して呆れ果て、言葉を返すこともせずにその場を離れました。

なんで人を不機嫌にさせるようなことを、こうも軽々しく口にするのだろう。

やりきれなくて、悔しくて、悲しくて、しばらく一人で悶々としていました。

でも、こんなことにエネルギーを費やすことが馬鹿らしく思えて、意識的に気分を切り替える努力をしました。

歌でも口ずさんでいれば、そのうち気も紛れるだろう。

で、なぜかQちゃんの歌。



改めて聴いてみると、ファンキーでかっこいい曲だなぁ。





あれ、さっきまで何を考えていたんだっけ?