先日ある方とお話をしていて、「お父さんとのつながりが深かったんですね」という言葉をいただきました。

その言葉がなんだか、一日、一週間、一か月と時がたつにつれて「ああ、そうだなあ。そうなんだなあ。」と私の中に染みこんできます。

今改めて振り返れば、ある時点まで私と父とは二人三脚で走っていたような気がします。母は私たちが走れるように、そのサポート役をしてくれていました。

父は私が幼いころ、とにかく自然の中で遊ぶことをたくさん教えてくれました。
タラの芽やふきのとう、こごみなどの山菜を採りに行く。オニヤンマやトノサマバッタ、ホタルなんかを捕まえに行く。スキーも父から習いました。「オニヤンマは同じところを飛ぶから、追いかけずにここで待っていればまた来るぞ!」とか、「今日は雨上がりでムシムシしているからホタルがいっぱい飛んでるはずだ!」とか、まるで父のほうが子どもみたいに私たちと一緒に本気になって遊んでくれました。

小学校に上がると、父と同じ部屋で私と弟が机を並べて勉強していました。父から直接勉強を習った記憶はあまりないのですが、今思えばああやって一つの部屋でそれぞれに自分の課題に取り組む時間がとても幸せだったなあと感じます。


また、父は私が「〇〇ができない、苦手だ」というと全力で練習に付き合ってくれました。当時は学校で毎年スポーツテスト(今もあるのかな?)というのがあって、私はボール投げが苦手でした。全然飛ばないんです。それを父に話したら、ホームセンターでソフトボールを買ってきて、毎週末山の中の広い公園まで行って何度も練習しました。跳び箱が苦手だと言ったら、家の中で父が台になって練習をしたこともありました。その時に肘から転落して脱臼したのも、今では懐かしい思い出の一つです。

最近になってよく思うのは、「私のために父がしてくれたこと」以上に、「父と私が一緒に経験したこと」が何よりも私にとって大切な宝物として残っていると感じることです。なぜだかわからないけれど、一緒に捕まえたホタルの匂い、スキー場の駐車場で一緒に食べたおにぎりの味、カラオケで歌う父の歌声、そういう思い出が今の私には何にも代えがたい財産だと感じるのです。

父が遺してくれたもの、受け継いだもの、それらが私の中にたくさんあったんだと気が付かされたとき、私はこころから父にありがとうと言えたような気がします。
結婚式の日に渡した手紙の中でも言えなかった、言わなかったこの言葉を、ようやく言えるようになりました。

遅くなったけれど、お父さん、今まで本当にありがとう。