これまで様々な心理療法を学んできました。
今まではそれぞれに全く違うアプローチをしているように見えていたのですが、最近は「目の前の話し手を一人の人として敬い、聞き手も当事者の一人として“共に”話を聴かせていただく」、という点であらゆる心理療法に共通する本質なのではないかと感じるようになりました。つまり、技法を用いること以前に「対話の場がその人にとって安全で、自分は一人じゃないんだと感じられること」がもっとも重要なことではないかと思います。

逆に言えば、この本質を抜きに技法を用いることは聞き手の独りよがりになってしまったり、時には相手を傷つける武器にもなる可能性があるのではないかと考えています。

では「目の前の話し手を一人の人として敬い、聞き手も当事者の一人として“共に”話を聴かせていただく」とはどういうことなのか。

これはあくまでも私の場合は、という話ですが、目の前の方を生きた仏さまのように感じています。「様々なことを経験され、重たい荷物も背負ってここまでたどり着かれたのですね。この方は私に何を教えようとしてくださっているのだろうか。このご縁に感謝いたします。」
気が付けば最近は、そんな気持ちでお話を聴かせていただくようになりました。

そして心理療法の目指すところは、病気やその人が問題だととらえていることの解決(解消)だけでなく、その人がその人らしく生きていくことにあると思います。それには、「ありのままの自分が受け入れられ、みんな違うけれど一人じゃないんだ」という体験を積み重ねていくことが何よりも重要なのではないかと私は考えています。その体験の一つに心理療法があり、そうなるような関わりを私はしたいと思っています。

もっと言えば、「ありのままの自分が受け入れられ、みんな違うけれど一人じゃないんだ」という体験は誰にとっても大切なことであり、相手とどんな関係性であっても、相手を変えようとする前に自分自身の在り方を問う大切さを日々学ばせていただいています。