前回の記事(「本当に痛かったのは…自傷行為を振り返る」)で触れたように、大学2年生のある日突如記憶の波に襲われ、自分に対する責めと恥の感覚に苦しみました。

 

 

 

 


そんな状態で2年生の後期試験を何とか乗り切り3年生に進級できたのですが、当時の私はそれ以上頑張ることができませんでした。

正直その頃の記憶は断片的にしか覚えていないのですが、部屋の外に出ることもできず、1日中過食するか、お酒を飲むか、うとうとするか、そんな過ごし方をしていたように思います。

春休みが終わり3年生の授業が始まっても、私は授業に行くことができませんでした。
ただ動けない、そんな状態でした。

この頃は、大学の健康管理室担当の医師が定期的に診察をしてくださっていたのですが、外部との接触がほとんど絶たれていた私にとってはまさに救いとなっていたような気がします。

両親にも学校を休んでいること、自傷行為をしていることなどは全く伝えていませんでした。

欠席が続いていたことで学校から両親に連絡があり、最終的には翌年の3月まで休学することになりました。
保育園生から高校卒業まで皆勤賞だった私が休学を決断するのは本当に苦しいことでした一方で、私のこころも身体もとっくに限界を越えていたことも事実でした。
担当医が「辞めるのはいつでも辞められる。今は重大な決断を先延ばしにするという方法もある」と話をしてくれたこともあり、ようやく休学を決断したのでした。

大学3年のゴールデンウィーク、私は久しぶりに福島の実家に戻りました。

休学したからといって、楽になったかと言えばそうではありませんでした。
しばらくの間は、両親が仕事に出かけた後も真っ暗な自分の部屋で布団をかぶり、涙を流す日々を送っていました。

真っ暗闇の中にひとりぼっち…

まさにそんな心境でした。

それでも、今振り返ると休学して良かったと思っています。
あのまま一人で大学生活を続けていたら、私は今ここにいなかったかもしれない。
私に訪れた危機的状況を何とか生き延びるには、背負う荷物を減らすことが重要だったと思うのです。

そんな状況にあった私を支えてくださった先生や看護師さん、そして休学することを受け容れてくれた両親にも本当に感謝しています。


改めて、私が今こんな風に生きていられるのはたくさんの支えがあったからなんだなあと強く感じています。