最近感じていること。
昔は話し手を前にして、
「私はソリューション的なスタンスで話を聴くぞ~」とか身構えていたような気がするんですが、
今は、「医者として」でもなく「治療者として」でもなく、ただ「一人の私という人間として」その人の前にいる。
そんな感じがしています。
そしてさらに、技法はスパイスみたいな存在なのかな、というのも最近感じていることの一つです。
つまり、「ソリューション(解決志向アプローチ)を使うぞ」とか「メンタライゼーションをやるぞ」とかいうのではなくて、
まずは話し手がどんなことを経て今日まで生きてこられたのかという、その過程に想いを馳せること、そうするとその方に対して自然と感謝と敬いの気持ちがわいてくる。
そういう前提に立ってお話を伺わせていただく。
その中でもし、「あ、今この方にはこれが合うかもしれない」「こういうのが役に立つかもしれない」と感じたら、その時に自分の持ちうる技法をスパイス的にちょっと使ってみる、そんな感じなのかもしれないなと。
技法ありきではなくて、
私が私という一人の人としてあること。
自分の在り方次第で技法は毒にも薬にもなるし、もっと言えば技法も技法でなくその人の一部として溶け込んでいくのかもしれない。