『虎に翼』も『折々のことば』も見続けている

ということは何かしらの価値は認めている

ということを自覚しなければならないとは思います。

 

でも引っ掛かることが多い。今日の『折々のことば』は

「掃除、洗濯、ゴミ出しなどの家事」という出だしで

でも「家事はどれも一連の流れとしてあり、分割が難しい」

とか書いている。いや、掃除は掃除、ゴミ出しはゴミ出し、

分割は可能でしょ。こういう風な辻褄の合わないことを

公共に平然と提示するメディアの力というのに僕は

引っ掛っているわけなんだなと思う。『虎に翼』も然り。

 

僕も物書きの一人として(嘘、でもブログは書いてる)

辻褄が合わなくなっていないか?(特に自分の中で)

ある程度確信をもって書いているか?というのは

気にしている。気にしているが出来てるとは思わない。

これは能力のなさのなせる業であり緊張感の足りなさの

現れである。能力のなさは文字通りであり緊張感の足りなさは

「どうせ誰も読んでくれるわけじゃないしまあいっか」

ということである。でも『折々のことば』は朝日新聞の

一面であり『虎に翼』はNHKの朝ドラである。能力がない

とか緊張感が足りないとか言ってる場合ではないのである。

 

鷲田先生にはもう少し推敲をお願いしたい。なに大した

ことじゃない。その気になればすぐできることだろう。

能力はあるんだから。『虎に翼』のほうは期待薄である。

NHKはスタッフの問題が大きいんじゃないかと思い始めた

kazakitaである。公共放送にふさわしい「普通」のわかる

人間が番組制作をしてるのか?甚だ疑問である。

 

考えてみればNHKしか見なかった僕の姿勢も随分変わったもので

今ニュースと『虎に翼』とEテレの子供番組以外ほぼほぼ

興味がない。なにせ大河ドラマを見なくなったくらいだから。

 

思いついたので大河ドラマについて書いてみよう。

今の『光る君へ』は63作目だそうだ。ということは

僕が生まれる前からやってるのか?そんなはずはない。

いや、そうだった。第1作『花の生涯』が1963年4月開始

だそうだ。よっ、同級生!

 

僕が印象に残ってるのは古くは『国盗り物語』(1973)

『風と雲と虹と』(1976)あたりかなあ。高橋秀樹とか

加藤剛とか好きな役者さんだったなあ。そして『黄金の日日』

(1978)ですよ。大河と言えばなんか『黄金の日日』が

浮かんでくるよな。助左がトゥゲザーに聞こえて

ウイングスの「しあわせの予感」のトゥゲザーのところの

メロディも同時に浮かんでくるという若かりし頃の

サウダージだよ(こういううまく言い表し切れない気持ちに

サウダージって言葉を使うんだよね、そう聞いたことがある)。

 

まあそのへんで「石坂浩二ってへいちゃんとか言われてるのに

大物なんだなあ」とか「緒形拳も大河に沢山出てるから

大物なんだ」とかいう「常識」も学んだわけです。天下のNHKが

出演させる役者に悪い役者がいるはずはなかろうもん、てね。

 

『おんな太閤記』で「おんなかよ」と思ったり就職前後で

忙しかったのか『いのち』なんてあったっけ?というような

作品もあるにはありますがまあ大体ずっと大河は観ていた

気がします。大河ドラマの一覧見ると「ああ、こんなんあったな」

と思いますもんね。でも正直21世紀になって特に2010年以降

とかだとあんまし面白くはない。2010年代なんか毎年主役が

男性→女性→男性→女性と交代していて大きくコケて僕も

見る気がなかった(他にも見なくなったのはありますが)

『いだてん』まで続いています。あのへんは忖度でしょ。

だから作品が面白くなかったんだろうと僕は思っています。

 

『麒麟がくる』『青天を衝け』『鎌倉殿の13人』『どうする家康』

はまあ見ましたが『光る君へ』はダメでしたねえ。人間の本質は

エロでも大河の本質はエロじゃねえんだよ、って教えてやらん

といかんのかね?(元)天下のNHKに。情けないこってす。

 

大河の一覧見ていて気付いたんですが2010年以降ほぼ原作「なし」

です。これが面白くない原因の一つなのかなあと思います。

脚本家だけじゃスケイルが足りんのでしょう。小さい、小さい。

小さい大河じゃ面白くもないということでしょうか?