1万円札は聖徳太子の時代は懐かしいものになるのか。
そう言えば今の1万円札の顔は福沢諭吉だった。
諭吉さんと言えば大分県中津出身で僕も大分県の
県北の生まれなんで縁があってもよさそうなものだが
最近は1万円札を持つこともないので諭吉さんにも縁がない。
縁がない、円がない。お金で縁があるのはもっぱら
野口英世さんですね(1000円札)。でもなんか
1000円札というと伊藤博文のイメージな1963年生まれの
kazakitaです。お金の人の変遷も書いとかなきゃな。
僕が子どもの頃は500円札が岩倉具視、1000円札が伊藤、
5000円札と10000円札が聖徳太子だったんだな。
Cなんとか円券という言い方をするらしい。
大人になってからは1000円札が夏目漱石で
5000円札が新渡戸稲造で10000円札が福沢。
福沢旧10000円札はD一万円券らしい。
そして今財布の中にある(?)のがEなんとか円券で
1000円札が野口、5000円札が樋口一葉、
10000円札が新福沢(旧と新で何か変わったんか?)。
あと2000円札という2000年だから発行された券
というのがあります。沖縄サミットにもちなんで
人物肖像の代わりに首里城守礼門が描かれています。
2000円というのが使いにくかったんでしょうねえ。
沖縄以外ではさっぱり流通しなかったようです。
沖縄には2回しか行ったことがないですが
今度沖縄に行くことがあったら是非ゲットしたいですねえ。
お札というと人の顔が載ってるというのがなんか
イメージになっていますが僕的にはもう
偉人の時代でもないだろうにと思います。
聖徳太子にしても伊藤博文にしても福沢諭吉にしても
そんなに立派な人だったかどうかはわかりません。
大きなことをした人だったから立派であってほしい
とは思いますが「人間なんてララ~ラ~ラララ」
な面もあるわけです、多分、きっと。
今回の渋沢、あれまだ書いてなかったっけ?
今回は1000円札が北里柴三郎、5000円札が津田梅子、
10000円札が渋沢栄一なわけですが渋沢なんかだと
そんなに立派だったかあ?って気がします。
『晴天を衝け』でやってたんである程度わかります。
津田塾には縁がないし昔はしょうがなかったんだろうけど
今更女子教育のことを言われても男女関係なく教育だろ
と思う僕にとっては津田梅子もインパクトがない。
唯一熊本県小国町(肥後国阿蘇郡小国郷北里村)出身の
北里はなんとなく嬉しくも感じますが医者については
もっともっともっともっと頑張ってほしいという
思いが強いですからねえ。まあ今の医者が北里さんや
野口さん並みに頑張ってくれればいいことか。
お金があれば経済は回るという胡散臭い考えに基づいて
アベノミクスとかやってた国ですから新札発行を迎えて
輪転機がグ~ルグルなんでしょうね。この前
『探検ファクトリ―』でやってましたがお金を作るのも
大変なようです。すごくマニアックな世界で人間の技術や
科学の技術が惜しみなく投入されているようですが
1000円札とか作るのに何万円もかかるんじゃねえの?
という世界です。でも働いているのは人間なんで
あんな札束を毎日見る仕事は大変だろうなと思いました。
医者みたいに人間の体の中のことを考える仕事も大変だろうな。
札束を見ても感覚が麻痺するとか人間見ても感覚が麻痺するとか
なければいいんですが油断するとそうなるでしょう。
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