『虎に翼』一応見てます。
今年度になってお母さんの職場の関係で
少し朝家を出るのが遅くなってる我が家です。
いつも言ってるように結局キャスティングボードを
握るのは誰なのか?って問題です。
豆知識:キャスティングボードじゃなくて
キャスティング・ヴォウト(vote)、
議会などで採決を行って可否同数となった場合
議長の一票で決まる議長決裁のことだそうです。
voteは投票だからなるほどねです。
自分の認識を正しいものにしときたいと思いますが
歳とると間違って覚えてることを訂正するのは
存外難しいものです。カタカナじゃなくて
英語のほうで覚えとくようにしないとね。
要するに「最終決定権」のことを話してるわけですが
我が家の場合は結局お母さんなんだよなあ。
ということは人類の場合は結局女性でしょ
というのが僕の持論なんですが飛躍があるか?
あんまないと思いますけどねえ。それこそ
革命とか戦争とかでも起こさない限り。
そういうことをみんなうっすら感じてはいるけど
認めようとはしないということが
歪みに繋がるんじゃないのかなあ?
これ多分正解です。ちゃんと認めて革命とか戦争とか
起こさない世の中にしとかないと結局男性の死が
甚大で女性や子どもまでもが死ぬなんてことになる。
そういう意味じゃ男性ってバッ○じゃないの?
『虎に翼』と我が家のキャスティング・ヴォウトは
(単に家を出る時間が遅くなったということですが)
どう繋がるか?というと、このブログ読み慣れてる
人にはわかったと思うけど、今年度は時間がズレたために
『虎に翼』の開始に間に合わないということに
繋がるわけです、アンスタ~ンッ(understand?)。
それでもまあ急いで帰って見るには見てます。
でも内容がアレだからなあ。『光る君へ』からは
早々と脱落してもうこの後ネットで少々盛り上がったにしても
僕は決して見ることはないだろうと思ってますが
『虎に翼』の「はて?」とか「しねっとしてる」とこ
とかも同じような臭いがするのであんま好きじゃない
というのが本音です。でも朝ドラは見ないとなあ。
最近昼に『ちゅらさん』(再放送)見ながら
「これが受け入れられて『ちむどんどん』がダメなのは
時代のせいもあるのかなあ?」なんてことも思います。
『ちむどんどん』については悪い評判しか判断材料がなく
直接見たことはないので的外れかもしれませんが
『ちゅらさん』のゴーヤーマンのエピソウドも話としては
「たいがい」でしょ、「大概にしとけよ」という意味で。
今は様々な批判が飛び交う世の中のようですが
『虎に翼』はまあ評判はいいみたいですね。
僕から言わせれば「甘い、甘い」って言い散らしている
よねさんも甘い気がしますけどね。いっしょにハイキングに
行くようじゃね。まあドラマなんでその場面にいなきゃ
いけないんでしょうけど。ひねくれるならもっとひねくれる、
仲良くするなら仲良くすると、どっちもっと素直に
いってもらいたいものですけどね。もう何やっても
いつか見たものが思い出される最近のドラマの
脚本とか考える人は素直にはなれないものなんでしょうね。
そのくせテーマ(themeはちょっと意味が違うんだっけ?)は
世間受けする(?)ベタなものなんでなんかとっつきにくい。
寅子の花岡に対する恋愛感情なんてもっと早くに盛り上げて
もっとバタバタさせてそれから「はて?」が来て
「裏切られた~」となって後は完全な敵役のほうが
全然わかりやすいのに。「結局みんな悪い人じゃない」なんて
ドラマっぽくないよなあなんて自分がついていけないところに
ひっかかるのです、「はて?」と。
よねさんはこれからも怒り続けるキャラなら僕を参考になさい。
もうちょっと不気味さを出さんとね。あと僕みたいに
我が家の妹には「ニッコリ」で世間には「ブスッ」としてる
ような顔の使い分けも必要でしょう。急に怒るとかいうのも
大事かもしれません。やっぱ不気味さだよなあ、何考えてるか
わからない感です。男装はわかりやすすぎるんじゃないかな?
それに男と戦うんなら男の真似するんじゃ勝ち目は薄いぞ。
ドラマの中では近いキャラなんでついつい親身になっちゃいますが
「まだまだだぞ」「長い間ひねくれているってのは
そんなもんじゃないぞ」「怒り続ける人は淋しいものだぞ」と
どうしても𠮟咤のほうが多くなります。
PS.「もう何やってもいつか見たものが思い出される最近のドラマ」
と上述しましたが曲についてもそれは言えるようで
米津玄師のテーマソング(これは和製英語か?)「さよーなら
またいつか!」はいい曲だと思いますが、曲の途中で
SMAPの「夜空ノムコウ」が聞こえてくる気がします。
あの曲も1998年でもう26年も前の曲ですか。