『ブギウギ』観てたらスズ子が

結婚のために歌手をやめるかやめないか問題で

羽鳥先生の奥さんが怒ってました。

 

「あなたは自分のやりたいことばかり。

福来さんの気持ちを考えなさい」と

いうようなことを夫に向かって言っていました。

 

それに対して「そりゃそうだけど

福来くんがやめると僕は困る」という

羽鳥先生の言い分がよくわかるkazakitaです。

 

羽鳥先生も変わってますからね。

上海から帰って来れた時こそ「生きてて良かった~」

と家族と泣いてましたが、それ以外は

ただの音楽馬鹿、とことん音楽馬鹿という

人物設計です。

 

でも奥さんの話も聞いていくと

自分の抱えているストレスに繋がっていく。

「どうしていつもいつも女ばかりそんな目に」

なんて言われても福来さんも困るでしょう。

 

惚れてしまえば「あばたもえくぼ」

なのかもしれませんがこういうシーン観てても

『ブギウギ』はよくできてるなあと思います。

人物の立ち位置とか心の動きとかがよくわかる。

 

作者としては羽鳥先生がやり込められて

奥さんの意見が前面に出る、それによって

今でもよく言われる「どうしていつもいつも女ばかり」

が強調されて世間の共感を呼べばそれでいい

というところだと思います。

 

僕としてはそれ以上に考えさせられましたけどね。

他人の問題を「自分のことのように考える」

ってどういうことだろう?

 

ようは羽鳥先生のようにも奥さんのようにも

同時にやらなくっちゃ、てことなんだろうと思います。

 

余程親しい人でも共感するとか、気持ちがわかる

とかいうのは難しいところがありますが

状況はわかる、立場はわかるというのは

いっぱしの大人ならまあ言えるはずで

奥さんみたいに相手の気持ちを考えることは大事。

 

でもそれって所詮は自分が同じような立場だったら

どう思うかを自分で考えるってことなんで

羽鳥先生も自分なりにやってると思うけどなあ。

 

そうして音楽馬鹿の羽鳥先生からすれば

自明のことなんだと思います。

「僕なら絶対やめない」。

 

その上でもしそれが起こった時の影響力は考えるので

「僕が困る」にもなるわけで、そうなると

羽鳥先生の答えは一択になるわけですね。

「やめるなんてダメだ」。

 

「僕なら絶対やめない」のところが単純すぎるので

相手の気持ちを考えていないように

奥さんには思えたんでしょう。

 

「生きてて良かった~」のシーンのこととか

羽鳥先生子だくさんのとことか見ると

現実はそう単純じゃないのかもしれませんけどね。

というか流石に服部先生、能力がある

ということかもしれません。

 

僕なんかは不器用なんであんなにうまく

やることはできませんが

大事なものは大事として

人の気持ちも少しは汲みながら

お袋の手術のことも考えようと思います。

 

僕の妹にお金のことを話したら

それは問題じゃないみたいに言われました。

確かにごった返してて矢鱈待ち時間の長いらしい

病院に通う手間に比べれば大したことじゃない

のかもしれないけど手術すれば

お金もかかるだろうになあ。

 

まあ流石にお袋の手術に関して

「僕なら絶対やらない」→「僕が困る」

→「やるなんてダメだ」ってわけには

いきませんからねえ。

 

ドラマ見てて思うけど昔は確かに今より

もっと窮屈だったんだろうなあ。

今なら「結婚します。歌手もやめません」

ってもっと言い易かったんだろうにな。

 

でも悩むのはいつもいっしょ。

出す答も結局はいっしょ。

そういうことかもしれません。