【自分を愛するために】ほどほどの幸せ | 愛される女になりなさい

愛される女になりなさい

『婚外恋愛』に悩んでいるあなたへ。

前回登場させた、弁護士になれなかった料理人のたとえを使ってもう少し考えてみます。

弁護士になれなかった人は、どこかで「自分は弁護士になれない」と気づき、その夢を諦めなければなりません。

その目標に向かって歩んできた今までの時間と努力を思えば、「弁護士になれない」という事実は大きな挫折であり、「自分はだめだ」と思う要素になることも頷けます。

ずっと夢に描いていた弁護士になれない自分を受け入れるのは、向上心の高い真面目な人たちにとってはなかなか難しいことかもしれません。

しかし、叶わぬ夢を追いかけている自分よりも、弁護士にはなれなかったという現実を知った自分のほうが、正しい自分像を持っていることになります。

つまり、「身の丈を知った」という意味で、長い人生を思えばプラスにもなっているのです。

いつまでも実現不可能な夢物語の中に生き、「どうして自分は成果を出せないんだ」と挫折の連続を味わうよりも、実は料理も得意な自分の能力を実際に活かして生活をするほうが、人生としては「成功」しているとも言えます。

夢を追いかけるのは尊いことですが、同じように、夢を諦めることも勇気のいる、前向きな選択であると思います。


「自分はだめだ」と思っている人は、実は、「自分はもっとやれるはずだ」「こんな自分は自分ではない」と思っているのです。

それなのに、思い描いた自分像ではない実際の自分に幻滅しているがため、「自分はだめだ」と思ってしまうのです。

自己評価が低い人でも、「私はだめな人間だが、こんな自分も悪くない」と思える人もいます。

そういう人は、自分の身の丈なりの、「それなりの自分」に満足しているのです。

自分の悪いところが認められないということは、自分にはそのような部分があってはならない、もっと良い自分にならなければならないという思い込みのためです。

「自分はだめだ」と言いながら、自分の中の理想像が高いために、そのギャップに苦しめられてしまうのです。


常に上を目指し、努力を続けることは、人生を高めるために必要なことですが、それに失敗し挫折した時に「やっぱり自分はだめだ」と自分で自分を痛めつけていては何にもなりません。

もっともっとと、満腹なのに食事を取り続ければ、それに対応して胃が大きくなり、以前は少量で満足していたのに、「もっともっと」を続けることで、満腹感を得るまでの量がどんどんと増大していってしまいます。

それと同じで、今現在の自分を認められずに「今のままではだめだ、もっともっと」と向上心を持つことは、自分自身への満足感も際限なく上昇してしまい、いつまで経っても「これで良い」とは思えないのではないでしょうか。

自分を正しく評価することは、自分の身の丈を知り、今の自分を認め、失敗を許してやることです。

常に完璧を目指したところで、完璧な人間などどこにも存在しないと思います。

誰にとっても、だめな自分、嫌いな自分も含めて自分自身が成り立っており、金太郎飴のようにどこを切っても満足のいく自分だけでできている人はいません。

自分もその「どこにでもいる完璧ではない人間」の一人なのですから、「それなりの自分」でしかいられなくても当たり前のことで、だめな自分を直視することになっても、それを否定したり制裁を加える必要はないのです。