寂しさの正体 | 愛される女になりなさい

愛される女になりなさい

『婚外恋愛』に悩んでいるあなたへ。

婚外恋愛をしたくてしているのではない、愛してやまない人が目の前に現れて、自制心というものとは無関係に始まってしまった恋愛なのだ、という人がいる一方で、寂しさを埋めるように、乾いた心が飢えるように、配偶者がいても恋愛し続けてしまう人がいます。

婚外の恋人という恋愛対象がいてこそ、その人を愛してしまった、というよりも、「恋愛すること」に意味がある人です。

夫も子供もいる既婚女性が、恋愛しないと生きていけないとか、精神的に支えてくれる人が必要だとか、夫以外の男性に心の拠り所を求め、母であり妻である自分よりも女である自分を強く意識し、愛情と快楽を求め続けます。

こういう人は、何か満たされないものを抱えているのだろうかと私は感じます。

その渇望感とは何なのか、恋人に何を求めているのか。

それを恋愛以外のところで埋められれば、「不倫」と呼ばれる種類の恋愛をしなくても済むのでしょうか。

婚外恋愛に至る過程や理由は人それぞれであって、既婚者が恋愛に何を求めているのかを一つの定義で括ることはできないと思いますが、何が足りなくて、何を求めて恋愛するのか、その「心に開いた穴」の正体を二つの仮定にしてみたいと思います。


そのひとつは、「愛」そのものへの渇望です。
この「愛」とは、たとえば配偶者には十分愛されているという場合でもなお、求めてしまうような種類のもののことです。

自分の存在をありのまま認め、支えてくれる存在を欲し、自分自身のすべてを捧げられる相手を求めるような。

もっと言えば、相手との同一化さえ望んでいるかのような、愛への渇望です。
それはどこか人としての成り立ちに不安定ささえ感じるものがあります。

つまり、「愛」というものに依存しなければ自分自身を確認できないとさえ思えてしまうのです。

それがふたつ目として考える「依存心」です。

依存症と不倫 』の回で不倫することと依存症の類似性について書いたのですが、恋愛をすること、またはその恋愛の対象に対して、禁断症状にも似た喪失の恐怖を持っている場合です。

恋をしていなければ自分ではないとか、恋人がいなければ生きていても仕方がないとか、そういった「恋愛依存」の人が一旦結婚をしてしまうと、結婚をすることでその依存が治まるどころか、婚外恋愛というかたちで複数の男たちの中で愛を確認しなければならないのかもしれません。

これをもっと簡単な言葉で言えば、「寂しい」という気持ちに支配されているのです。


以上は私の仮定ですが、では愛に満たされ、依存心から解放されれば婚外恋愛など必要ないのでしょうか。

また、そうなるにはどうしたらいいのでしょうか。

仮定の上の仮定では真実味が薄れてしまうのですが、恋愛などに頼らずに自分の中を愛で満たす方法は、まず自分を愛することではないかと思います。

いつもいつも愛を欲し、誰かに依存しなければならない人というのは、恐らく、自分自身を否定し続けている人ではないかと思うのです。

自分はだめだ、どうしてこんな生き方しかできないのだ、何をしてもだめだ、生きていても仕方がない、人生をやり直したい、記憶を消したい・・・もしそのように考えている人がいたなら、自分で自分を認めることができないぶんだけ、他人に自分を認めてもらう必要があるのです。

しかも、他の誰でもない自分自身の存在が認められないというのに、それを覆すくらいの肯定ということですから、それだけの強い理由と深い愛情が必要なのです。

ですから、婚姻届で結ばれた配偶者や、ちょっとした友人関係では埋まらず、障害の多い恋愛でも自分を愛してくれる人に、その「理由と愛情」を求めているのかもしれません。