I のオバサンを思い出します。
高校生の同級生 I 君の家によく遊びに行ったのを思い出します。
庭はほとんど手入れされていないように思えました。
後で話を聞くと、野点のためにあえて自然に任せていたとか。
おじさんはお医者さんで「この仕事大変だから子供には無理に継がせない。」
結局同級生は医者になったんですが。
「急に医学部いけと言い出されて、話が違うんだよな。」何て言ってました。
おじさんが亡くなって、おばさんは、所有していた土地にマンションなどを建て、かわいいケーキ屋さん、お公家さんの珈琲店、パリはシェレ・ザンジュのシェフ呼び入れレストラン、一角は千葉とは思えないカルチェ・ラタン?
極めつけは、地下の小さな劇場。
「私は、歌舞伎が好きで、劇場を持つのが夢だった。」とか?
僕らもよく使わせてもらいました。
椿ホールで歌う斎藤悌子さん。
おばはんも亡くなり、まわりの雰囲気は変わってしまったけど、シェレ・ザンジュは I のおばさんが残した最大遺産だと思っています。
シェレ・ザンジュのシェフも亡くなって何年もたちます。
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