肺線維症の発病から3年、体が動けるうちに
昔なつかしい場所を訪問していく。
【鉄塔/電線】
私にとっての西尾久のイメージは、「高い鉄塔」「高圧電線」「鉄塔下の空き地」だ。
産まれてから約10年間、ここで育った。
【東京女子医大付属第2病院】
出生地。この病院で産まれた。
病院の名前は変わっていて、来年には移転するらしい。
【育ったアパート】
路地の突き当り、4畳半一間のアパート育った。
【銭湯】
内風呂のないアパート暮らし。風呂は近所の銭湯。
父と行った記憶が無い。
常に母と女風呂だったように記憶している。
【八幡様】
小さい頃はお祭りが好きだった。
お祭りの衣装を着て、山車を引いていた。
【小学校】
尾久宮前小学校。
入学式は欠席。盲腸で入院していた。
血にまみれたガーゼが、すもものように記憶している。
西尾久は、『阿部定事件』の舞台となった地。
小学校の近辺は、昔の花街。しかし、なごりは全く無い。