瀬島龍三について
大日本帝国大本営作戦参謀、陸軍士官学校44期(1932年(昭和7年))卒。
陸軍大学校51期(1938年(昭和13年))首席。実業家。
号は「立峰」。
戦後は政商、武器商人と呼ばれた伊藤忠商事会長。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『陸軍大学校開校以来』といわれた頭脳の持ち主であり、四百万人の軍隊の生死を左右した人物。
ちょっと作戦参謀について調べたら、
陸軍士官学校卒のエリート500人のうち、
1割が陸軍大学校に進み、さらにその1割の5、6人の成績優秀者だけが卒業時に
天皇陛下から軍刀をもらい軍刀組と呼ばれ、その軍刀組が参謀本部策戦課に集めらたみたい。
つまり参謀本部策戦課は超エリート参謀20数名からなる陸軍の中枢機関。。
戦中、戦後、シベリア抑留、商社ビジネスと昭和時代を駆け抜けた偉人。
自分の世代から考えるとおじいちゃん世代の人だけど、
現代と大きなギャップを感じた。
明治時代は30前後の若い官僚、政治家もが日本をひっぱり、
太平洋戦争中も同じ世代の人間が今の日本を作り上げてきたことに改めて感動した。。。
そもそも鎖国して海外列強と渡り合ってきた人達や
戦後の荒廃した状況から日本の土台を造り、外貨を呼び込み、経済大国に上りつめた多くの先人達の
残した結果を考えると、今の自分が恥ずかしくなる(/ω\)
瀬島龍三に関する本を読んで目が覚めた。
『まだまだできることがいっぱいあるんじゃない?』
って自問自答した日でした。
□参考文献
・不毛地帯
・沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか
大日本帝国大本営作戦参謀、陸軍士官学校44期(1932年(昭和7年))卒。
陸軍大学校51期(1938年(昭和13年))首席。実業家。
号は「立峰」。
戦後は政商、武器商人と呼ばれた伊藤忠商事会長。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『陸軍大学校開校以来』といわれた頭脳の持ち主であり、四百万人の軍隊の生死を左右した人物。
ちょっと作戦参謀について調べたら、
陸軍士官学校卒のエリート500人のうち、
1割が陸軍大学校に進み、さらにその1割の5、6人の成績優秀者だけが卒業時に
天皇陛下から軍刀をもらい軍刀組と呼ばれ、その軍刀組が参謀本部策戦課に集めらたみたい。
つまり参謀本部策戦課は超エリート参謀20数名からなる陸軍の中枢機関。。
戦中、戦後、シベリア抑留、商社ビジネスと昭和時代を駆け抜けた偉人。
自分の世代から考えるとおじいちゃん世代の人だけど、
現代と大きなギャップを感じた。
明治時代は30前後の若い官僚、政治家もが日本をひっぱり、
太平洋戦争中も同じ世代の人間が今の日本を作り上げてきたことに改めて感動した。。。
そもそも鎖国して海外列強と渡り合ってきた人達や
戦後の荒廃した状況から日本の土台を造り、外貨を呼び込み、経済大国に上りつめた多くの先人達の
残した結果を考えると、今の自分が恥ずかしくなる(/ω\)
瀬島龍三に関する本を読んで目が覚めた。
『まだまだできることがいっぱいあるんじゃない?』
って自問自答した日でした。
□参考文献
・不毛地帯
・沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか