さっぶーーー!!!
なんですか今夜は!!!
めちゃんこ寒いじゃいですか!!!
というわけで、早々にお店を閉めて、お風呂につかりながらブログ書きやす。
さて。
タイトルのリーダーシップと儒教。
なんか変な組み合わせです(笑)
というのも、ここ最近、追い込み気味でリーダーシップについて今まで勉強して来たことをおさらいしているんですが、
国内企業と欧米企業では、リーダーの立場や仲間からの評価のされ方が全くと言って良いほど違うのだな〜と気づかされる話題が多かったのと、
ちょうど今読んでいる本にも同じような事が書いてあって、妙に納得しているからです。
さて。
日本国内と欧米では、様々な文化の違いがありますが、一番の違いと言えば当然言語ですよね。
使う文字も、発音の仕方も全然違うんですが、着目すべきは文法です。
日本語は、とても奥ゆかしいというか、まどろっこしいというか…
最終的に伝えたい事を1番最後に持ってくるプロセス型とでもいいましょうか。
そんな感じです。
それに対して欧米の…代表的な言語といえば英語ですが、それは大事なことから始まります。
プロセス型に対して名付けるとすれば「結果型」でしょうかね。
このプロセス型と結果型を言語という例にしてみたのですが、仕事の進め方にも同じような事が言えます。
今では耳に馴染んでいる「フレックス」も、欧米からきた新しい働き方です。
要するに、朝早く出社するというリスクを省いて、
(リスクの例→満員電車で不快になって、ヤル気が萎える)
時刻よりも内容と結果に対して優先順位を上げています。
「とにかくやる事をやって結果を出す」
一方、日本の会社は、朝も早よから全員整列して「オハヨぉぉゴザイマス!!!」。
(個人的には朝礼大好きですけど)
そして上司が帰らなければ自分は帰れない謎のシステムが作動して、
上司は上司で定時で帰るなんてとんでもない!と
結局のところみんな疲弊していく…
少し前はこんな光景が当たり前だったんじゃないでしょうか。
今もあるかもしれないけど。
あ、やべっ。
横道それるとこだった(いつものこと)
ま、そんな働き方や表現方法の違う日本と欧米。
リーダーというポジションのイメージも真逆と言って良いほど違っています。
日本の場合、リーダーは嫌われる。
(あ、もちろん全員が嫌われてるわけじゃありませんけど)
トラブルがあったときはリーダーに出てきてほしくないって思っているし
(バレたら怒られるので、できればさっさと解決して
トラブルが無かったことのようにやり過ごしたい)、
リーダーを選出するときなんてみんな下を向いてしまう。
(立候補する人がいたらラッキーくらいなのかも。)
選ばれても「えぇぇぇぇ!私なんてとんでもない!」と謙遜しちゃう。
ところが欧米だとどうでしょう。
留学や向こうでお仕事をする人たちは、
声を揃えてこう言います。
【自己アピールができなければ、ここではやっていけない】って。
移民や外国人の多い欧米企業では、「私はココにいます!!!」って言っていなければ、自然とすぐさま埋もれるようになっています。
常に激しい競争社会なのです。
日本のリーダーを取り巻く【遠慮がちな存在=部下たち】とは、
きっと儒教における「上を立てる事が美徳」の歪んだ姿と、
リーダー=権力といった間違った考えが重なっているのかもしれませんね。
リーダーとは、1人でなれるものではありません。
だから、いくら権力があっても、リーダーにはなれません。
リーダーがいるそのすぐ裏側には必ずフォロワーがいて、
付いてきてくれる人ができて始めてリーダーが誕生するのです。
リーダーのあり方は、随分変わりました。
三角形の先端に立って旗を振るスタイルから、
三角形の底辺から、みんなの背中を押すという縁の下の力持ちへ。
会社によって色々なスタイル、伝統、ルールがあるので、
きっと正解も間違いもないと思います。
でも、もし行き詰まっているなら、
こんな風に外部の考え方や、
新しい常識とか働き方を取り入れてみるのも良いかもしれません。
世界を驚かせた名だたるリーダーたちは、
権力があったのではなく
フォロワーがいたから結果を残せた。
キング牧師や、マザーテレサ。
そしてこの前セミナーを聞いたロケット開発の植松努さんもね。
はー久々なのに、よく書いた(о´ω`о)
では、のぼせそうなので
また!!!
追伸
お風呂で寝ちゃうのって、それ…
気絶ですからーーーーーーーー!!!