冬の間動けなかった、親父の所用を済ませるべく
諸々手続きや、親父の施設へ訪問などをしてきました。
最近では珍しいくらいの快晴の中の移動は
気温も高く暖かくて気持ちよかったな。
親父の住民票の移動は済ませていたが、マイナンバーの住所変更が
以前行った時には書類が足りなく完了できてなかったので
今日で取り敢えず終えたので、一安心というところかな。
そこから入居している施設まで歩いて行ったけど
札幌の景色もすっかり雪も溶けていて、
電動車椅子でも移動に困ることはなかったな。

何だかんだ親父が入居して以降、母が亡くなったり
大雪に見舞われてしまって、伺うことができてなかったので
いい加減、忘れられてないか心配してましたが(苦笑)
顔見たら、ちゃんと分かってくれてました(笑)
誰も来ねぇ~もんなと愚痴られてましたが
取り敢えず、2月に感染していたコロナの影響もなさそうで
特段痩せている感じでもなかったし、顔色も良いように見えました。
施設職員の話も聞くことができて、
入居当時は、慣れない暮らしに戸惑っていたり
苛つくこともあったようでしたが、
現在は笑顔も見せてくれるようになったり
環境にも慣れてくれているようでした(汗)
もう帰る家もないからね、慣れてくれないと困ってしまうけど
そこら辺は思ったよりも柔軟に受け入れてくれているようだった。
少なくとも職員とは良い関係を築けてないと生活しづらいからね(苦笑)
その点は安心して良さそうだ。
あとは膵臓にある腫瘍が悪さしなければ良いんだけど
こればっかりは分からんから、なるようにしかならんね(汗)
雪も溶けてきたので、外出レクなどもあるようなので
施設に管理してもらいつつ、小遣いを置いてきました。
本人に渡してもなくなったとかありそうだし
別途管理費かかるけど仕方ないな。
一緒にレクに行っている参加者が、飲み物を飲んでいるのに
小遣いないために飲めないとなったら、文句たらたらになりそうで
数千円置いてきましたよ(苦笑)
次の雪が積もる時期までは、定期的に顔は出そうとは思うけど
当面は生活で困ることはないと思う。
まぁ~見えないところで、やることや考えることは多々あるんだけど(汗)
元気そうで良かったということにしておこう(笑)
親父や職員に別れを告げ、帰り道にケンタッキーに寄って
待望の「鶏竜田バーガー」を購入してきました!

竜田の脂が溢れて、食べづらいのはありつつも
めっちゃ美味しかった(笑)
これは前回に早期で終了した理由もよく分かったな(苦笑)
マックのチキンタツタも多分例年なら登場しそうだから
それまでには、もう一回のリピートはしそうだな(笑)
それくらい美味しかったわ!
レギュラーにしても良さそうなのに、勿体ないと思っちゃうな。
50間近でも美味しく感じるので、切望しておくわ(苦笑)
夕方前には帰ってきたけど、疲労が凄かった・・・。
私も身体を慣らすには時間がかかりそうだ(汗)
でもやっぱ春の開放感は、やっぱ良いな。
雪が溶けるだけで、こんなにありがたく感じるのは
雪国の特権よね(苦笑)
あとは上着を脱げるようになれば完璧なんだけど、
そこら辺はもう少しの辛抱なのかも知れない。
とは言え、今日半袖で歩いている人を見て強っって感じたけど(笑)
34年目も変わらずあでゅ~♪
地味に宅配レンタルの、TSUTAYAやGEOを利用していて
自分の持ってないCD以外で、音源データとして残したいCDなどを
ひたすらレンタルしまくっておりまして、
取り込みデータも極力高音質で取り込む「flac」という形式で保存するため
気が付けば音源のみの保存容量が256GBを超えまして・・・
いよいよMicro SDカードを買い換えたくなってきました(苦笑)

デジタルオーディオプレーヤー(DAP)を複数所有している私は
DAPごとにSDカードを入れ替えるのも手間なため
256GBのSDカードは6枚は持っておりました。
それでもAmazonのセール時期を狙って購入していたので
1年前なら「KIOXIA EXCERIA microSDXCカード 256GB」でも
2,100円程度で買えていたんだけど、
現在だと7,000円前後を彷徨ってる(苦笑)
因みに「KIOXIA EXCERIA microSDXCカード 512GB」だと
1年前は4,100円程度が、現在は9,300円前後となってた(汗)
時代の流れとして、メモリの需要が高まっているのは知っていたし
AIが主流になり大量のメモリが必須なのは分かるけれども
SSDやSDカード、今じゃUSBメモリすら高くなるって言われているね(苦笑)
KIOXIAというメーカーは旧東芝メモリだったので
国産メーカーという安心感があったし、何よりも値段も
良心的な金額であったから、デジカメとかも含めて
個人的には重宝しておりました。
当然、性能とか求めれば他製品でも、値段はピンキリであるんだけど
読み込みもそこそこ早かったから、私には必要充分な性能でした。
あとは値段が安かったから、例えSDカードが破損しても
消耗品感覚で扱えていたけど、以前の倍以上の値段になるなら
破損したら結構ガッカリすることになると思われます(汗)
こんなことなら、安いうちに複数枚購入しておくべきだったな。
512GBなんてそうそう使うことなかったから、
ノートPCの保存容量増やすことくらいしか考えてなかった。
まぁ~音楽データだけで256GB超えることも、
本来そうそうないんでしょうけども、サブスク絶対説も
安室奈美恵が完全に消えた段階で、いつまでも残るわけじゃないんだなと
痛感させられたので、それを知って以降、レンタル始めたんだよね(苦笑)
ここまで読まれると、どうせ一気に全曲聴けるわけないから
都度曲を入れ替えれば良いじゃんって思うでしょ?
確かにその通りで正論なんですが、手が不自由な私には
Micro SDカードは小さすぎて、いちいち入れ替えが大変なのですよ。
となれば大容量SDカードに全曲突っ込んだデータを
複数枚持ってる方が扱いやすいわけです(汗)
そういう意味ではサブスクって通信料はかかるけど
端末の容量は食わないから、合理的といえば合理的だよね(苦笑)
これからAIが、どれだけ進化していくか分からないけども
メモリ不足は2028年くらいまではかかるという噂もあるので
それまで我慢していくか、買えるうちに買っておくの
どちらかを選択するしかなさそうですね(汗)
あぁ~物価高恐ろしや~。
34年目も変わらずあでゅ~♪
一か月を過ぎた辺りから、日常の変化は早さを増してきまして
今日は母が亡くなってからの四十九日目にあたり
無事に四十九日法要を済ませました。

まぁ~私と奥さんと息子の3人で済ませたんですがね(汗)
姉は姉でやったんだろうし、親父には母が亡くなったことは伝えてないし
妹も多分理解できないから、少数でやるしかなかったですね。
もう少し雪が溶けたら、納骨堂へ遺骨を納めたいと思ってるので
予算もかけられないから、お経も現代風に音声で流して
ひっそりと執り行いました(苦笑)
自分ららしいと言えば、らしい感じで終えれたかな?
当の母はどう思ってるか分かんないけどね(汗)
空の上から、「それでいいよ」って言ってくれたら良いんだけど(苦笑)
この期に及んでも、まだ現実感ないんだけどね。
とは言え、四十九日を迎えたので、いい加減受け入れていかなきゃな。
先日、母の銀行口座を解約しなきゃならんと思って
必要書類について銀行まで聞きに行ったんだけど
口座に残高は残してない状態であっても、
亡くなったことを理由に解約を申し出する場合には
相続者全員の書類等が必要になるらしい。
ただ銀行の方が言うには、残高が0円であり
今後一切口座の動きがなく、他に相続する遺産がないのであれば、
そのために役所に書類を取り寄せる代金や手間を考えると
特に銀行に口座の解約の申し出をしないで
2年間放置しておけば、利用がない口座と見なされ
口座は自動解約になるんだそうだ。
そもそも実家の生活状況は。生活保護を受けていたので
私たちが引き継げるような財産もなければ、借金もないわけだから
相続することも、放棄することないんだよね(汗)
なので口座に残高が残ってないなら、
放置しておけば勝手に解約になるから、
そういう意味では、手続きも少なくて残された家族としては
本当に助かったりしますね。
すっごい個人的には、昨年は親父に振り回された1年だったから
今年は母のことに集中して動いていく覚悟でいただけに
多少でも迷惑をかけてくれても良かったんだけどなぁ。
結果的に、亡くなってしまっても、家族の負担を減らしてくれるなんて
どこまでできた人だったんだろうな(汗)
晩年は会いに行くたびに、「あんたには感謝している」を
毎回言われており、逆に恐縮してしまうくらいだったけど
生まれつきの障がいを抱えている私を、
大人になり社会に出て、結婚して子どもを授かるまで
育ててくれたことにこそ感謝しかないんだけどなぁ~。
それを伝えきれたか怪しいけど(汗)
まぁ~今後は、母を思い出すたびに、
心の中で感謝を伝えていけば良いのかなと思ってます。
納骨堂へ遺骨を納めることは残されてますが
一旦は四十九日を迎えたということで
区切りを一つ付けたことにしようと思います。
季節は春になろうとしています!
動けるようになったら、親父のために成年後見制度を申請してみるよ(苦笑)
簡単だと良いなぁ(汗)
34年目も変わらずあでゅ~♪
何だかんだ・・・クリアしてしまいました(苦笑)
これでも隙間時間に、ゆっくりちまちまと進めていただけなんだけど
やっぱ昔に比べて、随分優しくなってしまったんだろうな。

特に難易度などは触れてないから、ストーリーを進める
標準な感じが大体50~60時間くらいなのかもしれませんねぇ。
PS時代のドラクエⅦは、情報も少なくて・・・
相当苦労した記憶しかなくて、何度も遊んだことはないから
結構忘れているから新鮮な気持ちで遊べたのは良かったな。
個人的に良かった点
・キャラのドールルックがかわいい
・マップ上のモンスターをレベルが高ければ戦闘せずに倒せる
・マップモンスターを逃げずに倒していたら、レベルアップが本当に早い
・戦闘の速度を速めるととことん早い(笑)
・職業の掛け持ちができる
・個別に道具の振り分けがいらない
・キーファが種泥棒にならない(苦笑)
・ゲームバランスも良かったと思う
・石版も小さなメダルも見つけやすかった
いまいちに感じた点
・戦闘のさくせんが「バッチリがんばれ」だけでクリア出来てしまった(汗)
・「めいれいさせろ」を使わなかったからバースト機能を
貯めておけるの知らなかった(笑)
・ショートカットが自由に割り振れない
・苦労して辿り着いたキラキラが種でガッカリ(苦笑)
・大人キーファが加わるのも嬉しいんだが、それなら通常メンバーの
5人で戦えるようにしても良かった気もする
・今後、こういうUIになっていくんだろうけど、UIが最後まで慣れなかった(汗)
・回復ポイントが多すぎて、緊張感がないし、宿屋の存在意義も薄い(苦笑)
ただ便利すぎて使ってしまうんだ(笑)
まぁ~書いた割に、UIが慣れなかった以外は
別にそんなに不満でもないのかも知れないなと感じてしまった(汗)
職業熟練度は思ったよりも早い段階で極められたから後半戦楽だったけど
マップ上の敵倒すと1ポイントしかGetできないのは
途中まで気付かなかったよ(苦笑)

結論だけ言えば、楽しかったです!(苦笑)
ドラクエ好きからすると、最新ハードでリメイクしてくれるだけで
素直に嬉しいし、取り組んでくれるスクエニや堀井雄二さん神と崇めたいよ(笑)


今年はドラクエが世に放たれてから40周年らしいので
ドラクエⅫを期待せずにはいられないし、
HD-2DでもいいからドラクエⅣリメイクも発表だけでもして欲しいです!
ドラクエの日を心から楽しみにしているからな!!(苦笑)
34年目も変わらずあでゅ~♪
母が亡くなって一か月が経ちました。
さすがに、この年になってくると、一か月なんてあっという間だし
一年ですら早いのに、この一か月だけは、
ゆったり、ただゆっくりと時間が過ぎたように感じました。
とはいえ、世の中は間違いなく動いていて
衆議院の解散選挙もあって自民党が圧勝したし
ドラクエⅦ Reimaginedも発売されていたり
息子の誕生日もお祝いしたりと、日々の日常は目まぐるしいほど
動いていたはずなんだけどねぇ。
結局言えることは、何ら実感がないんだろうなぁ~ということだけだね。
最後を病院で看取ったのも事実だし、火葬されて遺骨が家にあるし
これほどない現実が目の前にあるんだけど
何だかんだいなくなったこを受け止めるのは時間がかかるんだろうね(汗)
母からすれば、いつまでも引きずられても困っちゃうだろうけども
自分たちの中で、やっと受け入れるのは、春以降かなと思ってます。
母が入院していた病院は、私自身も皮膚科で通院しており
来月通院予定なので、そこで「あぁ~看取ったな」とか
雪が溶けて元実家付近に行った際に、家もなくなっており
誰も住んでいないことを確認して、やっと「いないんだな」と
感じるんじゃないかなと勝手ながら思っていたりします。
まぁ~自分の親が亡くなったんだ。
そんな簡単に割り切れるなら苦労はしないわけで
日常生活を送りながら、ゆっくり受け入れていきます。
いつかは誰しも通る道ではあるので、仕方がないんでしょうね。
息子からすれば、我々だっていつかはお迎えが来るわけで
その時に満足のいく人生を送れていて、それを後世に示すことが
できていれば良いんだろうな。
そうでありたいと願うのみだね。
今更どうにもならないんだけど・・・
やっぱね、親父が倒れた時に、母の負担が増えるのが目に見えていただけに
最初から施設へ入れることを徹底すれば良かったなと後悔はあるんですよ。
母からの、身体がキツいというSOSは出ていたので
躊躇うことなく徹底できていれば、母の精神が崩壊することなく
穏やかに寿命を全うできたんじゃないかって思っちゃうんですよね。
決断に迷う分岐点も多々あったのも事実だから
何が正しいのかなんて、その都度最適解を選んだつもりだったけど
振り返ると間違いだったなと思うことが多くて(汗)
これも結果論でしかないんですが・・・。
自分のことなら、例え間違っても仕方ねぇなと納得させられるけど
親とはいえ別人格の人間ですからね、判断が本当に難しいですよ。
間違えると後悔しか残らん。
せめてもの救いは、母が穏やかな表情で旅立ってくれて
子どもや孫が揃って、看取れたのが良かったことかな。
まぁ~身体は諸々苦しかったり辛かったとは思うんだけどね。
それが全て解放されるからこその穏やかな表情だったのかな。
天国では、好きなことをして美味しいもの食べられたらいいなぁ。

各家族の親子関係など、みんながみんな同じではないだろうけども
今後いつか訪れる親との別れは、いろんな選択肢がある中で
極力後悔がないと良いなと思いますね。
いろいろ書いてきましたが、ゆっくりまったりと
母がいない世界を受け入れていきたいと思います。
まずは雪が溶けてくれないと、遺骨を納骨しに行けないので
早く春が来ることを願うのみですね(苦笑)
地味に、14 Ultraから気になっていた、カメラに特化したスマホです。
最近になって新作の17 Ultraの発表も出てきていて
中古の値段も下がってきていたので、
メルカリで状態が良く、一番安そうな物をGetしてみました。
iPhoneのカメラの写真画質が、個人的には好きじゃなくて
動画としてなら綺麗だなと思うけど
写真用途で使うなら、単純に記録用かなと思ってます。
なので今までは、Sony Xperia 1 Ⅲのカメラで
インスタ用とかは撮影していました。
まぁ~コンデジもあるので、そっちを使えば良いんでしょうけども
データの移し替えが面倒で、スマホで撮影して、
そのまま投稿できたら、それが一番スムーズじゃない?
という理由から、SIMカードを入れない状態のスマホとして
カメラ専門スマホとして、4年くらい使ってました。
さすがに5年目くらいになってくると、
AndroidのOSも更新されなくなって、アプリだけはアップデートすると
どんどん容量が重くなってきたりして、バッテリーも考えると
そろそろ世代交代かなと思ってました(苦笑)
iPhoneのカメラも悪くないんでしょうが、
年々アップグレードしても、私には響かないので
通常のバージョンとは別に、カメラ特化型のiPhoneを作ってみるのも
それなりにウケそうな気もするんだけど、どうなんだろ?
因みに、Xperiaの最新機種でも良いんじゃないかって感じますが
1 Ⅶの発売当時に、不具合連発でイメージが良くなかったのと
もっとカメラに特化したスマホを試したかったというのも
今回、Xiaomi 15 Ultraを選択した理由です。
あとはカメラグリップの様な「Photography Kit」という
取り外し可能なグリップのアタッチメントも別売りであり
画面をタップしなくても、横持ちでシャッターを切れるのも良くて
手が不自由な私には最適に撮影できるんですよね。
Xperia使ってたのも、横持ちでシャッターボタンがあったからです。


実際に端末を触ってみると、カメラ部分はデカいし
スマホの頭の方に重点があるから、気を抜くと落としそうになるから
基本的にはグリップは、充電意外付けっぱなしが、良いのかもと思ってます。
そもそもとして本体画面も大きいから、手が小さい人とか
私にとっても若干持て余す感はあったりしますね(汗)
ただカメラ特化と踏まえれば、そんなもんかと受け入れられそうかな。
一応、Leica監修のレンズ搭載なので、Leica透かしも使えるんだけど
(白や黒い細長帯に、Leicaロゴなどが載ったやつ)
帯タイプだと好きな文言を設定できなかったので、
文字のみの透かしを入れてあります。
レンズを守るために、Amazonで適当なマグネットタイプの
レンズキャップを付けてあります。
Leicaのキャップなら尚カッコいいんだろうけど、
そこにお金は注ぎ込めなかったな(苦笑)
作例もいくつか出せれば良いんでしょうが、
外に出られないし、取り敢えず昨日発売のドラクエⅦ Reimaginedの
パッケージを撮ってみましたので雰囲気だけ感じてください(汗)
Xiaomi 15 Ultra

Sony Xperia 1 Ⅲ

使い慣れてない感や、画質を見慣れない感もあるけど
いろいろ風景とか撮れるようになると分かってくるかなぁ。
本来、餅は餅屋でコンデジとかを持ち歩けば良いんだろうけど
スマホ単体で綺麗に撮影、クラウドに保存、SNS投稿もできるんであれば、
利便性は抜群に良いので、楽な方を選んでしまうよね(苦笑)
取り敢えず、当面はXiaomi 15 Ultraで写真撮影をしてみますが
どうにも扱いづらかったら売ってしまって、
Xperiaの中古を探して購入するかも知れません(汗)
34年目も変わらずあでゅ~♪
1月末をもって、実家の退去が完了しました。
トータルすると26年も住んでいたようです。
ノストラダムスの大予言が話題の中心だったり
モー娘。のLOVEマシーンが大流行していた
1999年の秋頃に、アパート取り壊しにより引越を余儀なくされ
新たに住み始めたのが、本日退去した家になります。
私は引越時期の頃は埼玉の国立の施設にいたので、
気付いたら実家が変わってたというオチもあったりしますが
埼玉から戻って、翌年の春に一人暮らしするまでの間の
半年間だけ住んでいましたね(苦笑)
なので、そんなに深い思い出があるわけじゃないんだけど(汗)
車椅子の息子がいるのに、段差が満載のアパートを決める
親の判断に、おいっ!!ってツッコミを入れましたが・・・(汗)
まぁ~おかげで、自立を早めたのもあったから
怪我の功名という解釈もできそうですね(苦笑)
妹も高等養護学校を卒業し、今の施設で暮らすまでの間は
実家に住んでいたと思います。
私自身に対して思い出はありもしませんが
両親にとってみれば一番長く住んだ家だったので
親父にしろ、母にしろ最後は家で寿命を、終えたかったろうなと思いますが、
現実は理想通りに行くこともなく、親父はサ高住に昨年末に入居し
母は先日病院で息を引き取りました・・・。
仕方ないと言えば、それまでなんだけどね。
人生は無常だなぁ~と痛感させられますね。
それにしても親父がサ高住に入居してから、まだ1か月なんだよね(汗)
入院中だった母の病院の医師からも、
実家へ戻るのは難しいと言われていたし、
両親不在の実家を残しつつ、家賃を払い続けるのは、
家族としても負担が大きすぎたし、生活保護課からも後押しがあって
今月末に実家を退去するのは決定事項だったけど
本当に早い展開で進んでいったなぁ。
実家の荷物の整理は、正月休み返上で姉が本気出してやってくれたから
1月上旬辺りには、あらかた完了していたのが凄かった(苦笑)
茶箪笥や冷蔵庫などの大型の物は、所謂何でも屋さんに手伝ってもらって
無事に処分できたりと短い間で、良くここまでできたと思います。
あまりにも姉の整理が早すぎて、残しておきたかった漫画なども
きれいに消え去っていたのは残念でならなかったが(汗)
まぁ~それも片付け優先にしたので致し方なし(笑)
ただね母の荷物は、病院退院後の施設用に保管してあったので
それも整理しなきゃならなくなったのは、やっぱ切ないもんですね・・・。
いろいろな感情はありつつも、先月に1月末での退去を伝えていた
大家さん立ち合いの下、本日を迎えたわけですが、
どこか管理会社を挟んでの契約ではなかったようなので
登場した大家さんは米寿(88歳)の、おじいちゃんな方だった(苦笑)
ちょいちょい話が噛み合わないこともあったが、
改めて本日で完全に契約は終わりと理解してもらって
何とか無事に?終えたと思います(汗)
怪しい部分もあるから、後日連絡来ることもありそうな気がするけど
26年も住んでれば、諸々の耐用年数は終えてるらしいから
ただただ連絡が来ないことを祈ろうと思います(苦笑)



たった1か月前までは、物に溢れて当たり前に人が住んでいた
部屋はもぬけの殻となって、こんなに広かったけ??
と誰でも感じてしまいそうな思いを抱きつつ、
鍵を返却しお別れをしてきました。
(正しくは、私は行けなかったので奥さんに託しましたが・・・(汗))
長らく両親を住まわせていただき、本当にありがとうございました。
本来は当人たちからお別れを伝えて欲しかったけど
それは叶わなかったので、大家さんにはお礼を言わせてもらいました。
(私はビデオ通話で(苦笑))
一旦、急いでやるべきことは無事に終えた気がします。
姉も奥さんも、関わってくれた方々、本当にありがとうございました。
雪降っている間は、少し気持ちを休めていこうかなと思います。
なので頼むから無駄な連絡は来ませんように(笑)
34年目も変わらずあでゅ~♪
本日は息子さん、11歳の誕生日でした。
母が亡くなって、まだ11日なので心境的には
お祝いムードという感じにするには、時期尚早かなぁ~と思いつつも、
母としても孫の誕生日は、一緒にお祝いしてくれるだろうと
いつも通り楽しくお祝いをすることにしました。
当たり前なんだけど、年々お兄さんになってきましたが
でもいかにも少年という感じのイメージのまま
大きくなっているので、親としては安心しております(笑)
Youtubeやゲームが大好きで、遊ぶツールは違いつつも
昭和世代の自分らと変わらないんだが
勉強もちゃんとやる辺りが、私はじぇ~んじぇん違って
どうして普通に良い点数取れるのか不思議で仕方がない(苦笑)
私が5~6年生の頃には、既に勉強が難しくなっていて
勉強そのものが嫌いになっていたんだけど
今のところ息子には、そんな感じは見受けられないから
そのままある程度、普通に勉強がついて行ければ良いなと思いますね(汗)
11歳の息子の目標は「周りの様子を見る」ということらしいです。
これは親目線で見ると、息子の自分の思いが先行してしまい
周りがどういう状況か見えてない時が、多々あるのは事実なので
口酸っぱく説明することがあるんですよね。
あんまり伝わってないんじゃないかって感じていたけど
本人なりに受け止めてくれていたようで
そこら辺から「周りの様子を見る」という目標が生まれたのかなと。
まぁ~子どもらしいといえば、そう思ったりもするし
10代の子どもなんてKYだろう?(苦笑)
って自分を振り返ると、そんなもんだったと思います(汗)
ただね、やっぱKYが通用する場面と、通用しない場面も絶対にあるので
何となくでも、周りを見ることでトラブルは回避できるからね。
個人的には良い目標立てたなと感じています。
昨年から、奥さんが考案した宝探しゲームは、
今年も登場して11個のヒントを辿っていくと、プレゼントに辿り着けます。
相変わらず家は広くないので、すぐ終わっちゃうけど
息子はヒントを頼りに楽しんでくれていました。
辿り着いた先のプレゼントはLEGOでした!!

あんだけSwitch2で遊んでいるから、プレゼントはゲームかと思ったけど
未だにLEGOとか好きなんだよねぇ(笑)
いや全然良いんだけど、私なら間違いなくゲームを頼むから
意外だなぁ~と思うだけです(苦笑)
晩ご飯は、家族みんな大好きなお寿司でした。
高いんだけど、新鮮でネタも大きくて、きっちり配達してくれる
「銀の皿」で最近は頼むようにしています。
さらに息子が大好きなサーモンだけでも4種あるから、
サーモン好きにはたまんないんだと思います(笑)


ケーキは毎年「SWEETSLAB」に依頼していて
こちらで用意した画像をケーキにプリントしてくれるので
子どもウケは間違いなくて、一応来年までは頼む予定です。


ゼルダとリンクが好きなので、画像を繋ぎ合わせて
「ゼルダ」の部分を息子の名前にして
タイトルを「(息子の名前)の伝説」と作ってみたら
想像以上に気に入ってもらえて安心しました(笑)
来年も、その時気に入ってる何かを題材にして
息子の名前で作ってやろうと思ってます(苦笑)
私個人としては気分が上がらない日々でしたが
悲しんでばかりもいられないし、笑ってる姿を見せる方が
母も安心できるだろうと思うので、いつもの日常へ戻るように
シフトしていきたいと考えてます。
息子の成長も、私たちと一緒に上から見守ってもらいつつ
ただただ元気に大人へと育ってくれれば
親である私たちは、それだけで本当に充分なんです。
4月から小学生最後の6年生になるし、
どんな一年になるか分かんないけど、一緒に親として付き合っていくからな。
誕生日おめでとう!!
マリオカートワールドで遊ぼうぜ(苦笑)
34年目も変わらずあでゅ~♪
先日の18日の昼頃に、母が永眠しました・・・。
78歳でした・・・。
大体10日前に、入院中の病院の医師から連絡があって
ちょっとずつ回復傾向にあった中、
誤嚥性肺炎になってしまって、CTやレントゲンを確認すると
肺が真っ白な状態だったようで、肺に水も溜まっているという話でした。
医療関係者や、介護関係者だと、高齢者の誤嚥性肺炎に関しては
なかなか厳しいというのは、ある程度分かるんだそうだ。
肺炎が怖いというのは、素人の私でも分かってはいたので
何となく嫌な予感はしておりました。
一応、医師も抗生物質を点滴したり、肺の水を減らすため
利尿剤を投与して、注意深く見ていくということで
こうなるともうお任せするしかないわけですよね。
15日にお見舞いに行ったときには、
抗生物質が効いたのか熱は下がってきたが
肺の状態などは改善は見られないということでした。
時にせん妄状態にもなって、点滴を抜いたりしてしまうため
手にミトンで固定せざるを得なかったらしい。
実際に母に会うと、確かに状態が良くないのは感じられたけど
呼吸も苦しいだろうに、小さい声で、よく喋ってくれたなと。
ただ話もところどころ飛んだりしつつも、家族の名前はちゃんと出てきたし
10月の入院時に比べたら、意識の繋がりがあって
その点については良かったなと思うけど、肺炎については、
回復は厳しいんだろうなと悟ってしまったね・・・。
私たちが帰宅後に、病院から連絡があり、頻脈による不整脈があり
脱水状態もあり貧血も起きていて、状態は良くないらしい。
タンパク質を増やす、アルブミンを投与する治療に加え、
貧血用に輸血も行っていくと、最善は尽くしてくれていました。
17日にアルブミンの投与をすると、ギリギリの身体に対して
耐えられなかったようで、SPO2も80台まで低下してきているとのこと。
ついにいつ急変してもおかしくないと宣告を受け、
家族に関しては、いつでも面会できるようになった。
この日も駆け付けようと思ったが、この日に限って・・・
息子さん熱を出してしまうのよね(汗)
仕方がないので、姉に状況伝えて面会に駆け付けてもらいました。
苦しそうな感じであったが、この日はまだ大丈夫そうだと判断し
長期戦を見込んで、体を休ませるために、一旦帰ってきたんだそう。

そして18日の朝6時頃に、病院から連絡があり
会わせたい人がいるなら、早めに来てもらった方が良いとのことでした。
私も奥さんも気を張っていたので、電話ですぐに飛び起きて
息子もたたき起こし、急いで病院に向かいました。
姉にも連絡し、甥っ子たちも連れておいでと促した。
病院に到着し、対面した母は、意思疎通が取れる感じではありませんでした。
でもまずは間に合ったことに、少し安堵したのも本音でした。
その後、姉親子も揃ったり、午前中には施設にいる妹も
職員に連れてきてもらって、家族が全員揃いました。
妹は療育手帳を持つ障がいがあり、母の現状をどこまで理解できたかは
分かりませんが、長く滞在するには厳しかったようで
本人の意識を確認しつつ、先に帰宅させました。
お昼の時間帯になり、姉親子へ食事に行くように促し
私が付き添っていましたが、定期的にモニターを確認していると
心拍数やSPO2などが低下してきており、
姉がお昼から戻ってきた後くらいで、モニターの数値が0になり
他の家族が全員揃った段階で、医師より死亡の確認がされました。
元々が身体がボロボロな中での緊急入院だったこともあり
もう頑張らなくていいと家族内で一致していたので
延命治療はしないと以前から伝えておりました。
肺は真っ白で、水も溜まってしまっており
呼吸も本当に苦しかったと思うんだけど・・・
亡くなるまでの数時間は、特に苦しそうな顔もせず
穏やかな表情で息を引き取ったのは、家族として救いでした。
散々書いてきたので触れませんが、幾度と大病をしつつも
乗り越えてきた奇跡の母だったので、今回ももしかしたらなんて
淡い期待したも事実なんですが・・・
身体は限界だったのでしょうね。
本当に長い間、家族のために苦労をかけてしまいました。
もっともっとできることあったよなと、多分後悔することも多いと思うけど
家族みんな母には感謝しかないし、尊敬できる母でした。
心からありがとうと言わせてください。
そしてこれまで母に関わっていただいた、介護・医療関係者の皆様
家族を代表して厚く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
悲しみに浸る時間も持てないのが、手続きを進める私の運命なんでしょう。
全部片が付いたら、どっと悲しみに浸るんだろうな・・・。
まぁ~今はそれでいいや。
1月に入って母のことはあれど、少しは心も休めるかと思ってたら
先週金曜日から、母が誤嚥性肺炎になっていて、
嫌な感じのまま一日一日を過ごしております。
そもそも食事も摂れなくなって、体重が28.5kgまで落ち込んだのが
昨年の10月の話で、すぐ緊急入院となって
体力の回復に努めること、早3か月が経ちます。
年末年始は、やっと口から食事を摂取できるようになってきて
少しずつでありながらも体力回復の傾向が見えてきて
栄養を確保するための胸にポートを埋め込むのも回避できて
やっと施設探せそうとなり、本日紹介業者さんと打ち合わせする予定でした。
肺炎になって抗生物質を投与して、様子を見ていきますと言われて
週が明けて連絡もらったのが、先週より悪くなっているとのことでした。
肺には水が溜まって、熱も38℃台を維持しておりました。

ただ途中から強めの抗生物質を投与され、熱は一旦下がって
少量でありつつも食事も摂取できてきたと聞いていたので
今日面会に行ってみました・・・。
やはり明らかに弱っており、呼吸もしづらいことから
話す声もか細くて、結構ショッキングな感じだったな。
会話も、せん妄もあるようで、噛み合わないこともあったりしたけど
私や奥さん、家族の名前もところどころ出てきたりもしていたから
入院前よりは良い感じかなと思いつつ帰路につきました。
そんなこんなで夕方に、改めて医師から連絡があり
頻脈からの不整脈があったり、脱水による貧血も酷いから
輸血も行っていくと言われました。
CTやレントゲン撮っても、肺は真っ白なんだそうだ。
脱水状態だが、肺の水が抜けているわけじゃないから
呼吸も苦しいだろうとのことでした。
これまでの流れを見るだけでも、敢えて言葉を出すなら
本当に「なんだかなぁ」という表現しか思いつかないね(汗)
身体が弱っている状態での、肺炎だからね・・・。
正直、肺の水が抜けていかないと、回復は難しいんじゃないかって思うし
いつ病院から呼び出されても不思議じゃないのかも知れない。
スマホの着信で、病院の名前が出るたびに鼓動が早まっていくのが、
こちらとしても心臓に悪いと感じてしまう。
母は60歳で大腸癌ステージ4を乗り越え、
70歳で膵臓癌ステージ4までも乗り越え
昨年は意識障害からの自己免疫性脳症も回復の兆しも見えてきたし
これまで3度の命の危機を乗り越えてきた奇跡の人なので
今回も乗り越えたら4度目だから、奇跡体験アンビリーバボーにも
取り上げてもらえるんじゃないかって思うから(苦笑)
何とか乗り切って欲しいよホント・・・。
余生は穏やかに施設で暮らしてほしいと思うんだけどねぇ。
あんなに大変だった施設も、喜んで探すから頑張ってほしい(汗)
随分と重圧を感じる年明けになったな。
34年目も変わらずあでゅ~♪