「僕は、公佳が好きなんです」
“代理人”としての仕事のあと、
僕は縁条さんに誘われるままに、駅のコンコース内にある喫茶店にいた。
ここは生バウムクーヘンを食べることができる縁条さんお気に入りの場所だ。
向かい合い、縁条さんがソワソワとお茶が運ばれてくるのを待っているわずかな間に、
僕は今日の仕事が終わったら聞いてみようと心に決めていた質問を
前置きも無く口にした。
「ほう」と、突然であったにもかかわらず、
縁条さんは会話の開始をつつがなく受け入れてくれる。
しかしタイミング悪くお茶とバウムクーヘンが運ばれてきて、
僕は質問開始のきっかけをもう一度計らなくてはならなくなった。
「―――で、五日野公佳のことでしたっけ」
バウムクーヘンを半分ほど食べ、ホイップクリームの追加をオーダーしたところで、
今日は機嫌がいいのか、質問の再開を促してくれたのは縁条さんからだった。
「なんです? さっきのストーカーの言い分に、
なにか触発されるところでもありましたか?」
「ヒドイ人だとは思いましたけど、
彼のコンプレックスみたいなのは、わかるところがあるかなって」
「それは危険思想ですね」
「フム」と縁条さんが首を傾げたとき、追加のホイップクリームが運ばれてくる。
けれど今度はタイミングが僕に味方してくれたのか、
会話の流れが遮断されることはなかった。
「僕といないとき―――
彼女は、僕が公佳を思うほど僕のことは思っていないでしょう。
それが悲しくて……そういうときに僕は、
好きという気持ちの対価を求めたがるんです。さっきのストーカーみたいに」
「ふーん。
君は見かけによらず、随分独占欲の強い男なんですね」
「……え?」
「コンプレックスじみたことを言って予防線を張っているけれど、
それはつまり、五日野を自分だけのものにしておきたいということでしょう?」
愛でるようにしてバウムクーヘンをフォークですくい、
縁条さんは会話の息継ぎのついでとも言わんばかりのリズミカルなタイミングで、
それを小さな口に運んだ。
「君は五日野が誰とも関わらない寂しい人間にしたいのですか?
常に最優先に考えて欲しい。常に心の第一位に置いて欲しい。
それはわかります。
けれど、たとえば君は親を超えることができると思いますか?」
「僕は、なにもそこまで……」
「じゃあもうわかってるんじゃないですか。
君が与えられない何かを与えてくれる人以上に、
そのジャンルにおいて、五日野が誰よりも君をありがたがることなんて無理です。
つまり―――
君は君だけが与えられるものを見つければいい、そして誇ればいい。
もしそれが無いと言うなら人間関係として失格です。
恋人としてならなおさらです」
「僕が……公佳に与えられるもの……?」
「勘違いしちゃいけません。それを判断するのは君じゃなくて、五日野自身です。
でも、だからと言って僕は与えられているのか、なんてことを聞いてもいけません。
交渉人として、これは教えてあげます。
恋愛関係において自分への評価を尋ねたくなるときは多いとは思いますが、
好意的な答えが帰ってくると思うとき以外は、決して聞いちゃいけません。
否定的な答えが帰ってくると思って聞くときは、大抵それがわかってて、
否定的ではない答えを返してくれるかどうかを試しているときなんですから。
それは相手の思いやりに甘えようとしているときで―――
今の君は、まさしくそれなんじゃないですか?」
「でも……
好意的な答えが帰ってくると思っても、否定的だったりすることはありますよね?」
「それは価値観自体がズレてるってことです。
縁がないと思う方がいいです」
「そんな……」
「いいですか?
本当に相手の気持ちを求めるなら、
自分に対しても相手に対しても真摯にならなくちゃ駄目です。
相手が本音をぶつけられる存在にならなきゃ、
相手の気持ちなんていつまでもわからないのですから」
「…………」
「自分を信じてください。
これは、君がいい男だから安心しろと言ってるんじゃありません。
自分を信じ、理解している男でないと人を愛することなんてするなと言いたいのです。
さっきのストーカーみたいに虚勢をはったり、今の君みたいに卑屈なったりせず、
正真正銘の自分自身を理解して、誇りをもって人を愛してください。
相手の気持ちに応えるというのは、きっとそういうことなんですから」
縁条さんは―――
なんとそれだけの語りを続けながらも、バウムクーヘンを綺麗に片付けてしまった。
それはつまり、僕の質問に対する彼女の回答が終わったことを意味している。
交渉以外の場面において、縁条さんが語りだけに徹することはありえないからだ。
僕が慌てて紅茶を飲むのを待ってくれてから、
目の前のまさしく「女教師」然としたその人は、伝票を持って立ち上がった。
「あ、ここは僕が……」
「ちがいますよ、浅尾末輝(あさおまつてる)。
いまここで君に求められているのは、こんなささやかな金銭じゃありません。
―――よく考えて」
縁条さんは人差し指を立てて、そして僕の言葉を待つ。
求められていること……ここで考えるべき、相手の気持ち……
「……ごちそうさまでした、縁条さん」
縁条さんが、ニッコリと笑う。
「そう。君に求められているのは、
大抵いつも、素直で正直な、人間関係を信じる気持ちなんですよ」
(プロローグ、了。次回、第1章「群青日和:1」に、つづく)
