再び増加現象にあるコロナの影響で、1週間に一度、

 

 

それも10分のみの面会と決められていたので、常に側にいられることはできませんでしたが、

ここ数週間はいつ急に体調が急変するかわからないといった状況でしたので、決して遠くへは行かず、いつでもすぐに駆けつけられるよう待機はしていたのに、結局呼び出された時はそこからわずか10分ほどで息絶えてしまったらしく、僕が病院に着いた時には、すでに心拍計の数値はゼロ...残念ながら親の死に目に遭うことは叶いませんでしたが、顔や手に触れるとまだ温かく、まるで心地よく眠っているかの表情でしたので、号泣しながらもなぜか「楽になれてよかったね。やっとお父さんにも会えるね。」と微笑む自分がおりました。

 

それにしても夫婦揃って同じ「悪性リンパ腫」で亡くなるとは、ちょうど一回り違いの同じ酉年のカップルでもありましたが、どこまで仲がいいんだか...苦笑。

 

そこから約30分後に兄 秀彦が到着...それからの展開が全て早すぎて驚いたわけですが、もちろん葬儀社の友人などいるわけもなく、前もって用意などしてるはずもないですから、その場で『ロイヤル病院』からご紹介していただいた何軒かの葬儀社から一軒を選ぶと、わずか数分で担当者が到着。

 

そのまま病院のロビーで今後の打ち合わせが始まったのはいいんんですが、小さな病院のために霊安室も小さなものがひとつしかないとのこと(実は母が他界した後すぐに別の方も亡くなったらしく、この日の病院はてんやわんや。)で早めにどこかに移動させなくてはならず、葬儀社の本社がこの病院からわずか15分ぐらいの場所ということで、遺体をきれいにしていただいた後、すぐさまそちらの霊安室へ移動。

そこからがまた遺族にとっては辛く大変な 葬儀場の手配から棺桶やお花の色や大きさまでに及ぶ過酷な打ち合わせが永遠と続くこととなり、まぁ僕らは一応それなりに覚悟ができていたので、まだ取り乱すこともなかったですが、これが急な事故とかで大切な人を亡くした家族とかだったら気でも狂うんじゃないかと思うほど、淡々とシステマティックに進むもんですから、涙を流す暇もなかったのが正直なところ。

でも相当気を使える大当たりの担当者でありましたので、気分を害すこともなく、スムーズに全ての段取りを決めることができたのには感謝のひと言...結果、桐ヶ谷斎場にて、大掛かりな葬儀は取りやめ、お通夜も省いた あくまでも少人数の温もりのある家族葬にすることが決まりました。

 

ただし、やはり昔と違って今では、すぐその日のうちにお通夜で翌日お葬式などという段取りには、葬儀場や焼き場の関係上 うまくはいかず、その上お経を読んでいただく檀家元の住職のスケジュールも加わりますので、簡素な一日葬とはいえ、実際の葬儀は1週間後の7月24日。

そんなに長く遺体をきれいに保つことができるなんて、やはり葬儀屋さんって大事なんだなぁとつくづく感じましたよ。

 

(続く...。)